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- 己を知り、人生に覚悟を。
- 『武士道というは死ぬことと見つけたり』
江戸時代の書物「葉隠」に記された、有名な一説。
ただ生き長らえて命を全うするのではなく、
主君のために死ぬことさえも覚悟せねばならない、武士としての精神、人生の道を説いている。
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1対1で力比べを行う相撲(すもう)は、日本の代表的な国技です。
長年神事としての側面と江戸時代から続く興行としての側面をあわせ持ってきました。
また、相撲は武芸を磨く鍛錬として武士たちに活用されていた歴史をもちます。
現代では、日本相撲協会が主催する大相撲がプロの相撲競技とされています。
そこでは力士と呼ばれる競技者たちが「番付」(ばんづけ)と呼ばれる序列をかけて土俵の上で技を競います。
会場は東京・大阪・愛知・福岡の4箇所で、本場所と呼ばれる年6回の競技が行われています。
さらに大相撲では、力士の土俵入りや化粧まわし、髷といった相撲独自の様式をほぼ江戸時代と同じ姿で現代に伝えられています。
この記事では相撲の歴史や楽しみ方について、知っておきたい知識をご紹介します。

相撲のルールは、実はとてもシンプルです。
東と西の方角に分かれ、2人の力士が個人競技として取組(試合)を行います。
取り組みは基本的に、次のどちらかで勝敗が決まります。
審判にあたる行司の「はっけよい、のこった」の掛け声とともに取組が始まり、決着がつくまで続きます。
決まり手(勝負を決めた技の名前)は、現在82種類が定められています。
一方で、やってはいけない「禁じ手」も存在します。
禁じ手を用いた力士は反則負けとなり、行司や審判委員によって判定されます。
具体的には、次の8つが禁じ手として定められています。
興味深いことに、禁じ手として明記されていない行為はルール上使っても反則にはなりません。
具体的には「足を蹴る」「関節技をかける」という攻撃です。
それでも力士たちがそうした行為を避けるのは、国技を担う者としての誇りや相撲道への敬意によるものだといわれています。
大相撲の力士は、成績によって順位づけされる「番付」(ばんづけ)に従って序列が決まります。
番付は毎場所後に見直され、上から次のように並んでいます。
横綱・大関・関脇・小結・前頭までの番付が所属する区分です。
そのうち大関・関脇・小結は「三役」(さんやく)と呼ばれ、幕内の中でも特に格の高い地位とされています。
ちなみに関脇という名前は「大関の脇をつとめる者」という意味が由来です。
この番付は江戸時代の大相撲初期からある古い地位です。
前頭は1〜10枚目と呼ばれる細かいランクに分かれ、「平幕」(ひらまく)とも呼ばれます。
幕内の一つ下の領域で、十両以上にいる力士は「関取」(せきとり)と呼ばれます。
十両に入ると給料が支給され付き人がつくなど、生活面でも優遇されます。
また、取組の際には、自分の名前が入った「化粧まわし」をつけて土俵入りできるのも関取ならではの特徴です。
この「関取」になれるかどうかのラインが、力士たちにとって大きな目標の1つだといえるでしょう。


大相撲で十両、幕内の力士(関脇)が行う伝統的な儀式です。
神事として土俵を清める目的で始まりましたが、現代は観客に顔見せをする役割も持ち合わせています。
土俵入りでは東西の2グループに分かれて序列の低い者から土俵にあがり、円形に回ります。
全員が上がったら所定の所作を行い、土俵を清めます。
ちなみに横綱は個別で土俵入りを行うのが醍醐味です。
相撲の道に入った際に最初に入る部門です。
給料はなく、部屋からの手当のみで生活します。
そのため、幕下にいる力士は幕内や十両の世話をする付き人をする役目を負います。
付き人では関取の稽古や身の回りの世話など、部屋のために働く時間も多くなります。

大相撲では「化粧まわし」以外にも特徴的な服装と髪型があります。
十両・幕内の力士に見られる髷(まげ)の形です。
名前の由来は髷が銀杏(いちょう)の葉に似ていることから名付けられました。
大相撲の髷は「床山」(とこやま)と呼ばれる専門的な職人が丁寧に結い上げています。
力士は大相撲の世界に入ってから、大銀杏を結えるように髪を伸ばし始めます。
通常なら幕内に入る際にある程度髷が結えるのですが、まれに出世が早い力士が髷を結えない状態で幕内に入ることがあります。
そのような力士は注目され、連日勝敗がニュースのスポーツコーナーで取り上げられる傾向が多いです。
本場所(実際の試合)や練習で使用する、下半身に巻く布です。
素材は十両以上は絹、幕下以下は綿が使われています。
まわしは縁起を担ぐことと、素材の特性から使用後は洗わず干して使い続けます。
本場所(試合)で使うまわしの色は、原則紺や紫色の系統が指定されていました。
しかし現在は、十両以上の力士は水色やピンクなどの明るい色も個人の好みに応じて採用されています。
相撲の歴史は神話時代にまでさかのぼるとされています。
古代には神事・儀礼として、中世には武士の武芸として、そして江戸時代には職業力士による興行として発展してきました。
相撲は「力比べ」として、日本神話に記されています。
当時は農作物の収穫を占う神事としての役割を担いました。
また、奈良時代(710年〜794年)や平安時代(794年〜1192年)では「相撲節会」(すまいのせちえ)という宮中行事が行われています。
相撲節会では全国から力士が集まって取組(試合)が行われてきました。


上2つの絵は「日本最古の漫画」とも称される『鳥獣戯画』です。
この絵巻では、うさぎとカエルが相撲を取る様子が描かれています。
『鳥獣戯画』が成立したのは平安時代後期から鎌倉時代(12〜13世紀)です。
そのため、この頃にはすでに相撲があったと考えられます。

平安時代まで宮中行事だった相撲(相撲節会)は、政権が武士階級に移ったことで一度廃絶します。
その後、相撲は鎧を着て組み合う近接戦闘の訓練として、武士の日常的な鍛錬に組み込まれていきました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝も相撲を好み、鶴岡八幡宮の祭礼で流鏑馬などと並んで相撲を披露させていたことが『吾妻鏡』に記録されています。
つまり相撲は、武士にとって「見せ物」である以前に、実戦のための体術だったわけです。
さらに戦国時代に入ると、相撲はより「武芸」としての性格を強めていきます。
特に有名なのが、織田信長によって開催された大規模な上覧相撲です。
信長は安土城下で毎年1,500人を集め、勝った力士には褒美を与えたり自らの家臣として召し抱えたりしていました。
「強い者を求める」戦国の気風と、相撲の実戦性がうまく噛み合っていた時代といえます。
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江戸時代に入ると、浪人や力自慢の者の中から相撲を職業とする人たちが現れ、全国で勧進相撲が行われるようになります。
また、江戸時代中期には定期的な相撲興行が定着しました。
現在の土俵、番付、部屋制度の土台は、主にこの江戸時代に整えられたといわれています。
加えて、各地域を治める大名たちは競って強豪力士を自分の藩のお抱えとします。
抱えられた力士には、藩同士の名誉をかけて相撲を取らせていました。
そして戦績の良い力士には、なんと苗字帯刀が特権として許されていたのです。
苗字帯刀とは苗字を名乗り、刀を持つことです。
これは本来、武士階級だけに許された特権でした。
農民や職人・商人は本来苗字帯刀はできませんでしたが、大名お抱えの力士はその例外として認められることがありました。

横綱という地位には、単なる「最強の力士」以上の特別な精神性が込められてきました。
もともと大相撲は神事としての性格を持ちあわせています。
そのため、土俵の吊屋根など相撲には神道に由来する様式が数多く取り入れられています。
特に横綱が土俵入りの際に締める綱も、神社の注連縄(しめなわ)を由来とするという説が広く知られています。
こうした背景から、横綱は単なる番付上のトップではなく相撲の神聖さを体現する象徴的な存在として位置づけられています。
そのため、横綱は「現人神」(あらひとがみ)に例えられることがあります。
「現人神」とは、もともと「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉です。
つまり、人間でありながら同時に神でもあるという語義で用いられてきました。
横綱にこの言葉が重ねられるのは、力の強さだけではありません。
品格や振る舞いまで含めて相撲道を体現する存在として敬われてきたことの表れだといえるでしょう。
大相撲の土俵には「女人禁制」(にょにんきんせい)として、伝統的に女性が上がることができません。
日本相撲協会は女人禁制の理由として、以下3点の理由を挙げています。
ただし、この伝統がいつからどのような経緯で確立したのかについては、研究者の間でも見解が分かれています。
相撲研究の分野では、「相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する」という論理が挙げられています。
これは明治期以降に、相撲界の地位向上などの意図から形づくられたものだとする指摘もあります。
実際、女人禁制をめぐる制度は明治以降に大きく変化してきた歴史があります。
例えば1872年の太政官布告によって、多くの霊山の女人結界が一度解禁された経緯もありました。
この「女人禁制」についてはさまざまな見方があり、現在も議論が続いているテーマです。
日本相撲協会自身も「女性を不浄とみる神道の考え方が根拠になっている」という解釈は誤解であると説明しています。
男女間における性差の優劣を決めつけている訳では決してないということを、あらかじめ知っておいていただければと思います。
ここからは、知っておくとより面白くなる相撲のトリビアをご紹介しましょう。
横綱が平幕の力士に敗れることを「金星」(きんぼし)といいます。
この金星が出た際、観客が土俵に向かって座布団を投げる光景を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
実はこの「座布団投げ」は由緒あるルーツを持つ一方で、現在は禁止行為とされています。
座布団投げの起源は、「投げ花」と呼ばれる文化です。
これは明治時代に見物客がひいきの力士へのご祝儀として、羽織や帽子など個人が特定できる私物を土俵に投げ入れるという習慣でした。
力士やその関係者が持ち主に返却に行くことでご祝儀を受け取れる、いわば切符のような役割を果たしていたのです。
この投げ花は1909年の初代両国国技館の完成を機に正式に禁止されます。
しかし、投げ花がなくなったあとも観客が何かを投げたい気持ちは残りました。
そのため私物の代わりに座布団を投げる文化へと変化していったといわれています。
本来であれば座布団投げも観客のルール違反にあたります。
危険防止の観点から、日本相撲協会も座布団投げの自粛をたびたび呼びかけています。
しかし、序列の低い力士が横綱を破る大金星が生まれた瞬間の熱狂を抑えるのは簡単ではありません。
そのため、今も完全に座布団投げの文化はなくなっていないのが実情です。
ちなみに投げ花の代わりに導入されたのは、現在まで続く「懸賞金」制度です。
懸賞金は企業や団体が出資し、取組前に懸賞幕と呼ばれる布を持ちながら土俵を回ります。
1本7万円とされる懸賞幕は、現在ではスポンサーとしての役割を果たす注目要素の1つとなりました。
大相撲の開催期間には、会場での観覧とTVでの放映が行われます。
しかし2020年の新型コロナウイルス感染症の拡大は、大相撲にも大きな影響を及ぼしました。
同年3月の春場所は、感染防止のため無観客での開催が決定されました。
一般客を入れずに相撲が行われるのは空襲を警戒して非公開とした太平洋戦争中の1945年以来であり、実に75年ぶりのことでした。
続く5月の夏場所は開催自体が中止となり、7月の名古屋場所は会場を東京の国技館に変更したうえで無観客開催となりました。
本場所そのものの中止は以下の事例に続く9年ぶり3度目の出来事として記録されています。
歓声のない静かな館内で力士たちが土俵に上がり続けた光景は、コロナ禍を象徴する出来事のひとつとして記憶されています。
大相撲の歴史の中には、一時代を築き、相撲ファン以外にも大きな話題を呼んだ力士たちがいます。
若花田・貴花田の兄弟が活躍した1990年代、大相撲は社会現象と呼べるほどの人気を博しました。
この時期の取組は視聴率66.7%を記録するほどの熱狂を生み出し、戦後最高ともいわれる相撲ブームを巻き起こしました。
相撲に関心のなかった層まで巻き込む、まさに国民的な話題となったのです。
朝青龍はモンゴル出身力士として初めて横綱に昇進しました。
彼は圧倒的な強さと既存の相撲界のイメージを覆す個性的な振る舞いの両面で、たびたび世間の注目を集めました。
強さと話題性の両方を兼ね備えた存在として、平成の相撲人気を語るうえで欠かせない力士のひとりです。
2024年は大の里をはじめとする若い力士たちの活躍が印象に残る年となりました。
彼らの活躍で、大相撲は年間90日間すべての入場券が完売するという若貴ブーム以来28年ぶりの盛況を記録します。
特に名古屋場所では初日の約1カ月前に全席が売り切れる「札止め」となるなど、若貴時代を彷彿とさせる熱気に包まれました。
新しい世代の台頭が、再び大相撲を大きなブームへと押し上げつつあります。

島根県隠岐諸島では、神事としての役割を残す「隠岐古典相撲」が開催されています。
隠岐古典相撲は、特別な祝辞や神社のお祭りとしての側面を持ち合わせているのが特徴です。
直近だと2024年9月15日、16日に「隠岐の島町としての町政20周年記念」を祝して古典相撲が行われました。
このような側面から、隠岐古典相撲は大相撲のように定期的に行われる相撲競技ではありません。
しかし、神事を担い島民の結束を担う伝統的な相撲として、長年島民に愛されています。
隠岐古典相撲では、通常の相撲とは異なる独自の様式があります。
隠岐古典相撲では最初に通常通り相撲の取り組みを行います。
次に、2回目に同じ組み合わせで取り組みを行い、勝者が敗者に勝ちを譲ります。
必ず1勝1負に持ち込むことで、狭いコミュニティでわだかまりを残さない「人情」を大切にしたために生まれました。
多くの相撲で使われる土俵は、二段重ねで作られているのが特徴です。
しかし隠岐古典相撲では、三段重ねの土俵が使われています。
この形は神様のお供えものを置く木の台である「三方」(さんぽう)に、お餅を二段重ねた形と例えられます。
神聖な意味合いを色濃く残す隠岐古典相撲ゆえの、独特かつ特別な土俵の様式といえます。
また、土俵には傷1つないまっすぐな4本の柱が立つのも特徴です。
この柱には神が宿ると考えられ、梅干し酒で清められます。
大相撲でも土俵を清めるために、力士が塩をまく様子が見られます。
隠岐古典相撲では、通常の大相撲よりもさらに塩をまく量が非常に多いです。
先述の通り、隠岐古典相撲は神事の役割を担うことから土俵は非常に神聖な場所と考えられてきました。
そのため力士だけでなく、観客も一緒に塩をまいて応援に加わることができます。
ちなみに隠岐の島町出身の元力士「隠岐の海」の断髪式では、多くの島民が国技館の土俵にたくさんの塩をまきました。
そのため断髪式が終了した時には、「雪が積もったように土俵が真っ白になった」と評されています。
※断髪式:
大相撲を引退した力士が髷を切り落とすセレモニーのこと。
実際に隠岐の島町に在住している筆者の親族が断髪式に立ち会った際は、「国技館なのに隠岐古典相撲のような盛り上がりだった」と教えてくれました。

相撲は伝統的な日本のスポーツではありますが、神事としての重要な役割を果たしてきました。
さらに、武士の世では武芸を磨く側面を担っています。
現代では大相撲の取組の度にテレビ中継やニュースが組まれ、力士の活躍に期待が集まっています。
ぜひ今後の力士の皆様のご活躍と伝統文化の発展にも、注目していきたいです。


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