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- 己を知り、人生に覚悟を。
- 『武士道というは死ぬことと見つけたり』
江戸時代の書物「葉隠」に記された、有名な一説。
ただ生き長らえて命を全うするのではなく、
主君のために死ぬことさえも覚悟せねばならない、武士としての精神、人生の道を説いている。
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日本で信仰されている「神道」。
宗教とも異なる立ち位置ながら、日本では暮らしや文化の形成に古来から大きく関わってきました。
この記事では神道の特徴について、詳しく解説していきます。

神道とは、日本が持つ民族的な信仰です。
山や川、岩などの自然をはじめとした万物に神が宿ると考えられています。
「八百万の神」という言葉が、その考え方を如実に表していますね。
仏教が日本に入ってきた後に、区別する概念として「神道」と名付けられました。
先述の通り、神道の理念は自然をはじめとした「八百万の神」の崇拝があります。
自然や季節の流れを感じ、畏怖しつつも実りに感謝することは、古代から脈々と受け継がれました。
これ以外にも神道には基礎となる理念があります。
詳しく見ていきましょう。
神道はただ八百万の神を崇めるだけではありません。
今日まで私たちへ命を繋いでくれた先祖へ感謝の気持ちを捧げることも重要です。
先祖に対して感謝の気持ちを持つことは「祖先崇拝」と呼ばれ、神道の重要な要素となっています。
「日本人はコミュニティの調和を大切にする」「困った時は周囲と助け合う」文化があると耳にしたことはありますか?
これは神道にある「和」の理念が影響していると考えられます。
同じ土地に住まう人々同士で地域社会を守り、争いなくお互いが気配りを行うことの重要性を示しています。
また、地域社会で行う「祭り」は神様へ感謝の念を伝えるとともに、コミュニティの一体感を高める行事として重要な役割を果たしました。
ちなみに厩戸王(聖徳太子)が「憲法十七条」で「和を以て貴しとなす」と記載したことは有名です。
心身を清め、穢れがあるときは禊を行うことが重要とされました。
例えば、神社にある手水は神社に入る前の穢れを清めるために設けられています。

そして、穢れは外見だけではありません。
私たちの心の中にも邪な考えや思いがないか、日々自己を見つめ直すことが求められます。
嘘偽りない純粋な心で日々を過ごすことは、「誠の心」として大切に受け継がれました。
誠の心は中世から発展した「武士道」でも、重要な教えのひとつに位置付けられています。
日本で宗教を表す際は、一般的に「仏教」「キリスト教」「イスラム教」など末尾に「教」がつきます。
しかし、神道を「神道教」と書かない理由はなぜでしょうか。
これには神道が「宗教であるか否か見解が分かれているから」と考えられるでしょう。
通常宗教には「開祖・教祖」「教典」がセットになりますが、神道にはそれらが見当たりません。
※ただし、神道における「教典」は「古事記」「日本書紀」などが該当すると考える説もあります。
ちなみに現代の日本ではお正月やハロウィン、クリスマスなど様々な宗教の行事が生活に根づいています。
これは神道が持つ「特定の教義を持たない」スタイルと、八百万の神への信仰が影響していると考えられるでしょう。

神道は末尾に「教」がつかないかわりに「道」がつきます。
ここでいう道は目的地をつなぐルートという意味ではありません。
「神の道」、すなわち「神の教えに従い、自然法則や神々の働きかけに沿って生きる在り方」を指すのです。
例えば以下の営みが当てはまります。
また、「剣道」「茶道」など日本の文化で同じく末尾に「道」がつくものがあります。
これも神道の考え方と共通で、「宇宙や自然の法則・調和を学び、人格を磨く生き方」を表しています。
ただ信仰する、技術を身につけるだけでなく「自分と向き合いながら自然と調和し、良心に沿って生きること」を昔から大切にしていたのです。

「八百万の神」という言葉があるように、神道には多くの神様が存在します。
ここでは神様の種類を紹介していきましょう。
天体や気象、地形など自然のものに宿る神様です。
また、蛇など動物が含まれる場合もあります。
自然神以外の様々な事象に宿る神様を指します。
家族からその土地に住まう部族まで、幅広い単位の社会集団を守る神様が該当します。
私たち人間が暮らす中で関わる場面や職能を守る神様です。
生前は人間だったものの、没後祀られた際に神様となった方を指します。
以下の事例で人神として祀られる傾向があるようです。
「人は死後神になる」「神も人のように暮らしており、そこに壁は存在しない」という神道の考え方が影響している事例でしょう。

神道では特定の教義や教典が存在していません。
そのため自分と向き合うためには「日々の暮らしの中で見つめることが重要だ」と定義します。
前提として、神道で自分と向き合うためには「清き明き心を取り戻す」ことが重要です。
この「清き明き心」とは、心が清らかで嘘偽りなく、曇りが1つもないまっさらな心を指します。
嘘や見栄、固定観念で心のあり方や振る舞いを固めず、自分がどのように考えるか良心に沿って向き合う。
現代社会に生きていると忖度や体裁に引っ張られがちです。
だからこそ今一度「清き明き心」を取り戻すプロセスが大切なのです。
過去や未来に意識を向けるのではなく、「今この瞬間」を大切に。
目の前の出来事に丁寧に、心を込めて向き合います。
このプロセスで自分自身の軸を整え、心のぶれをなくすことにつながります。
神道では、自然界のあらゆるものに神が宿るとする自然崇拝を基本としています。
そのため、自然の中に身を置くことは、日常の喧騒から離れ、心を静めて自己を見つめ直す最高の機会となります。
自然の力への畏敬と、その恵みへの感謝の念は私たちの内省をより深めていくでしょう。
より良い人生を送るためには、物事を前向きにとらえ、感謝の心を忘れない心構えが大切です。日々の生活の中で、つい当たり前と思いがちなことにも感謝の念を持つことで、傲慢になることを防ぎ、謙虚な姿勢で自分自身と向き合うことができるようになります。
神社に参拝された際、鏡を見かけたことはありますか?
ここにある鏡は単に自分の姿を見るだけでなく、私たちの心のあり方や振る舞い、何より魂を映すものと言われています。
これは「神鏡の教え」とされ、神様は自分の心を映す「鏡」であると考えられます。
つまり、私たちは「神鏡の教え」を通して常に正直で清らかな心を持つよう促されているのです。
神社に参拝する際は、鏡に映る自分自身と向き合いながら自らの内面を見つめ直す機会としましょう。

先ほどは「自分との向き合い方」が神道と大きく関わるとお話しました。
この考えですが、武士道の考え方と似ていると感じませんか?
実は武士道の考え方には、神道が大きく影響しているといわれています。
武士が台頭する数百年前、日本には仏教が伝来してきました。
多くの人が仏教の教えに則り生活や信仰を深めていきます。
ここで改めて武士道の考え方との違いをおさらいしましょう。
「主君への忠義」「祖先や生まれた土地への崇拝」「誠と名誉の心」
これは全て武士道の根幹に関わる理念です。
しかし、仏教にはこれらの考え方を構成する要素が見当たりません。
例えば万物に神が宿るという考えは、人だけでなく自然や国土も対象です。
すなわち、領土を守るということはそこに宿る神様も守ることと同じ意味を持ちます。
また、武士道は主君への忠義を絶対としていましたが、仏教では特定の主君に仕える考えは持ち合わせていません。
さらに、「誠」の心で偽りなく清らかなあり方を保つことは、先ほどお伝えした「清き明き心」を体現していると考えられるでしょう。
そして時に恥をしのび、名誉のためならば自死をいとわない生き方は、仏教とは真逆の考え方を持ちます。
また、先述した通り神道と武士道には共通する「道」の考え方があります。
「武道」「剣道」のようにただ技術を備えるのではなく、いかに自然と人が調和するかを求めるのが重要だと考えられるのではないでしょうか。

このように、神道は日本の文化や暮らしに深く根づいています。
時に自然への崇拝、またある時は武士道をはじめとした道徳の形成など、数多くの要素で影響を与えてきました。
また、自らと向き合い人として生きる指針として、神道は重要な役割を果たしています。
日本文化を深く理解するためのヒントとして、ぜひ神道についても興味を持っていただけたら嬉しいです。