
自然や四季と連動した美しさ。 重(襲)の色目についてご紹介

平安時代。
それは日本独自である「国風文化」が花開き、現代につながる多くの伝統が生まれた時代でした。
とりわけ、宮廷で暮らす女性が着用した「十二単」は、現代でも私たちの心を掴む美しさです。
今回は十二単で見られる、「重(襲)の色目」についてご紹介します。
この記事で頻出する「日本独自の伝統色」については、こちらの記事で解説しています。
本記事をより深く理解するための手助けとなりますので、併せてご覧ください!
重(襲)の色目とは?

「重(襲)の色目」(かさねのいろめ)とは、衣服の重なりからなる配色のことです。
主に平安時代の衣服である十二単で採用されていました。
当時は薄い絹素材が衣服で採用されていたことから、布地の重なりや透けで独自の美しい配色が生まれていたようです。
配色は四季や自然をモチーフにしており、季節に応じた配色を選ぶことが重要でした。
当時は女性は表舞台に立つどころか、人前で顔を見せるのもはばかられた時代。
だからこそ、センスの良さも当人の教養や美しさを測る項目となったのです。
ちなみに、「かさね」と読む「重」「襲」の2つの漢字は、それぞれ以下の違いがあります。
重:表地と裏地の2枚からなる配色
襲:表地と裏地に加えて、さらに複数枚重ね着をしてグラデーションを作った配色
※今回は表地と裏地を組み合わせた「重の色目」について解説いたします。
そもそも、「十二単」とは?

「十二単」とは、平安時代貴族に仕える女性(女房) が着用した着物です。
平安時代中期に確立したといわれており、宮中儀式をはじめとした公的な場で着用していました。
女房が着用していたことから別名「女房装束」と呼ばれます。
さらに、大正時代の即位礼の時に着付け方法が定められました。
その際に、「五衣唐衣装」という名称もつけられています。
現代では「御即位の大礼の儀」など、女性皇族が宮中儀式で着用されます。
最近だと2019年の皇后雅子様、2020年の文仁親王妃紀子様が儀式で着用されたお姿が話題を呼びました。
十二単の構造
多くの衣を着込む十二単の構造は、以下のようになっています。
① 正面

長袴
ボトムスの一種で、「小袖」と呼ばれる白い肌着の着物と一緒に最初に着用します。
現在の袴はパンツのような型と、スカートのような筒型の袴の2種が存在していますが、十二単ではスカート型の袴を使うのが特徴です。
色は紅色が原則で、成人前または未婚の女子は「濃色」(こきいろ)と呼ばれる濃い紫色の長袴を着用します。
単 (ひとえ)
長袴と小袖と、後述する「袿」(うちき)の間に着る着物です。
五衣 (いつつぎぬ)
単の上に5枚袿(うちき)と呼ばれる着物を重ね着をした総称です。
重ね着をすることで独特の美しいグラデーション配色を生み出します。
また、このグラデーションの配色のことを「襲の色目」と呼び、四季に応じた華やかな色合いが数多く生まれました。
衣を5枚重ねて着用するため、動くのが難しいほどの重たさになると考えられます。そこで、現代は襟と袖だけを5枚重ねて軽さを維持する「比翼仕立て」が採用されることが多いです。
打衣 (うちぎぬ)
五衣の上に着る着物で、現代ではアクセントカラーの役割を果たしています。
打衣の特徴は「砧打ち」(きぬたうち)と呼ばれる手法です。
砧打ちは洗濯した布(主に絹や麻)を叩き、布を柔らかくし艶を出すために使われます。
この手法で布に光沢を出すことで、布地が見える面積が少なくても美しいアクセントとなっています。
表着 (うわぎ)
単、五衣、打衣の上に重ねる着物です。
サイズは一回り小さいものの、最も広い面積を占めます。
そのため、豪華な生地や色を選んでおしゃれを楽しむパーツとなりました。
唐衣 (からぎぬ)
一番上に着用する着物で、唐(当時の中国)風のデザインが特徴です。
袖や丈が短いショートジャケットのような着物で、正装が必要な際に着用していました。
② 後ろ姿

裳 (も)
腰につける装飾品です。
元はロングスカートのような形でしたが、現在は後ろだけに着用する形に変化しました。
腰に当てる固い部分(大腰)から、「引腰」と呼ばれるパーツが左右から後ろに垂らしているのが特徴です。
ちなみに、女児が成人する際に裳を着用する儀式を「裳着」(もぎ)と呼びます。
成人する女児に裳をつける人が後見人として見なされていました。
『竹取物語』や『源氏物語』でも、裳着の儀式が劇中で登場しています。

スタジオジブリの映画「かぐや姫の物語」でも、かぐや姫が裳着の儀式に臨む映像が出てきます。
『竹取物語』についてはこちらの記事でも詳しく解説しています!
本当に「12枚」着用しているの?
12という数字から、本当に12枚着物を着込んでいるのかと考えている方も多いと思います。
しかし、実際は以下8つのパーツで構成されているのが特徴です。
十二単で使われる8つのパーツ
- 小袖
- 長袴
- 単
- 五衣
- 打衣
- 表衣
- 唐衣
- 裳
(着用するパーツの順番に記載)
「たくさん」という意味を表す際、日本では「十二分」という言葉を使います。
つまり、「着物をたくさん着込む」という意味から「十二単」という言葉が生まれたと考えられるでしょう。
ちなみに、上記の8パーツは正装の際に着用するものとなります。
総重量は約20kgほどだったため、動くのも一苦労だったようです。
筆者としては、ここまでの重量の衣服を着込むとなると、肩が凝らないか少し心配になってしまいます…。
そのため日常生活の際は唐衣と裳を外した「袿姿」(うちぎすげ)と呼ばれる服装で、室内で座って過ごしていました。
また、夏になると裏地のない薄い素材を着用して、暑さ対策も行われていたようです。
美しい衣服の裏には、きっと重量や暑さとの戦いもあったかもしれません。
重の色目を四季ごとにご紹介

ここからは、四季ごとに使われていた重(襲)の色目について解説します。
本記事の解説にあたり、以下2点の書籍を参考にしました。
【参考書籍】
今回ご紹介した重(襲)の色目は、同じ名前でも複数の色の組み合わせがあります。
また、当時は旧暦を使用しているため、現在採用されている太陽暦よりも1,2ヶ月遅れた季節となっております。
詳しくは以下の記事を参考にしてください。
① 春

梅や桜、躑躅(つつじ)など春らしい花の名前が目立ちます。
配色も花の色である赤色、桃色で構成されており、華やかな印象を与えます。
そして、興味深いポイントとして「紅梅の衣」と「紅桜」は同じ配色と紹介されている点が挙げられます。
おそらく当時は、手作業で作るため五衣ひとつをとっても貴重な品だったことでしょう。
同じ配色でも着用する季節に応じて名称を変えて呼ぶことで、着回しを楽しむところが粋だと筆者は感じました。
② 夏

夏らしく爽やかな配色でまとめているのが特徴です。
文献で確認したところ「青」が多く取り入れられていました。
一方で、当時の青色は緑色〜灰色まで範囲が広く、重(襲)の色目ではほぼ緑に近い色合いが「青」とされています。
しかし、文献では現代の青色で記録がされていたことから、本記事ではブルーグリーンを「青」としてご紹介いたします。

菊や萩、紅葉など秋にまつわる植物が由来の配色が多く採用されています。
通常異なる色を重ねることが多い重(襲)の色目ですが、「槿」(あさがお)のように同じ色を重ねることもありました。
そして、「槿」(あさがお)や「鴨跖草」(つゆくさいろ)でシアンのような青が出てくる点も注目ポイントです。
文献では「縹色」(はなだいろ)という藍染めから生まれた伝統色が使われていることが確認できました。
爽やかな色合いですが、秋に咲く花の色合いに合わせて採用している点も、当時と異なる色の感覚であると筆者は感じます。
④ 冬

他の季節に比べると冬は種類が少ないのが特徴です。
これは主に植物や自然から着想を得ている点が影響しているのではないでしょうか。
冬は植物の種類が少ないことから、枯野や苔などわずかな植物から配色のアイデアを得ている点に工夫を感じました。
一方で、植物の代わりに雪や氷が出てくる点が目立ちます。
例えば「雪の下」は、梅の花に雪が積もった様子を配色で表現しています。
全てを言葉で説明せず、配色で風景を視覚表現する様子に思わず唸った配色でした。
⑤ 通年

重(襲)の色目の中には、通年着られるものもありました。
年中ある植物や、今様色などの流行色、香や唐紙など小物が由来となっている傾向です。
加えて、年代や祝儀の有無によって着られるかどうかも決まっていました。
例えば「海松」(みる)は通常表が萌黄、裏は縹色が通常ですが、年配になると裏が白の着用が求められます。
さらに、「松重」(まつがさね)は15歳以上から年配になるまでの範囲が決められていました。
まとめ:
重(襲)の色目は日本と四季の関係性を密接に表現している

いかがだったでしょうか。
日本文化は四季や自然との暮らしと連動しています。
その中でも、特に重(襲)の色目は特に四季や自然と密接に関わっているといえるでしょう。
今回紹介した重(襲)の色目で使われた色名は、日本の伝統色としても有名です。
こちらの記事でも紹介しているので、ぜひ併せてご覧ください。
【アイキャッチ画像引用】
吉野皇居月見御筵之図 楊洲周延 [著] | 国立国会図書館デジタルコレクション















