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- 己を知り、人生に覚悟を。
- 『武士道というは死ぬことと見つけたり』
江戸時代の書物「葉隠」に記された、有名な一説。
ただ生き長らえて命を全うするのではなく、
主君のために死ぬことさえも覚悟せねばならない、武士としての精神、人生の道を説いている。
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日本が長い歴史で発展させてきた独自の文化は、古来から多くの海外の人々を魅了しました。
歴史を辿ると、かつては海を渡って渡来するのも命がけだった時代がありました。
だからこそ日本から遠い地に住む方々は、「東洋・オリエンタル」の雰囲気に心を奪われたのではないかと考えるのです。
時代が流れ交通や流通、情報の往来が国の垣根を超えても、日本の文化が人々の心をときめかせるのは変わりません。
その証拠のひとつが、海外で日本をモチーフにした映画が作られることだと筆者は考えています。
そこで、今回は映画で有名な都市である「アメリカ・ハリウッド」に着目して、日本映画との関係性を解説していきましょう。
ハリウッドでは、1900年代初頭から度々日本をモチーフにした映画が作られてきました。
しかし、本格的に台頭したのは1910年代にまで遡ります。
1907年、アメリカに一人の日本人男性が渡米しました。
彼の名は「早川雪洲 (本名:早川金太郎)」。当初海軍への道を志していました。
しかし、道半ばで夢を絶たれた先に座礁したアメリカの大型汽船「ダコタ号」と出会います。
300名以上の乗組員は全員救助されましたが、彼も救助の際通訳として同行しました。
この出来事が夢破れた彼に「渡米」という新しい目標を授けたと言われています。(諸説あり)
渡米後雪洲はシカゴ大学に入学しますが、在籍期間はわずか約1年ほどでした。
その後数年間は複数の職を転々とし、1911年に演劇の道へと進みます。
1911年に演劇の道へ足を踏み入れた雪洲は、当初日系人向けの作品に出演していました。
やがて現地の人を対象にした演劇に携わりたいと考えた彼に、1つの知らせが入ります。
それは映画製作者トーマス・H・インスのスカウトでした。
当時のアメリカは映画の制作地がニューヨークからハリウッドへ移る過渡期でした。
その黎明期に活躍したインスは、日本をモチーフにした映画を作りたいと考えていたようです。
これは当時アメリカの白人社会の中で「日本(日本人)が神秘的だと興味を持たれていた」ことが理由でした。
19世紀にヨーロッパで浮世絵や日本文化が「ジャポニズム」として人気を博していた点と重なりますね。
当初雪洲は脚本家としてのスカウトでしたが、後日正式に役者として契約を結びました。
インスとは日本映画の製作者と役者として、1915年の契約終了まで長く続く関係性へとなりました。
そして1915年に公開された映画『チート』は、雪洲を国際的なスターへと導きます。
彼が演じた役は「プレイボーイでお金持ち、だけど非道な振る舞いが目立つ日本人美術商」。
相手方の女性に対して残忍な振る舞いをする助演ながらも、彼の人気を押し上げる大ヒットとなりました。
とりわけ「容姿や言動、振る舞いがエキゾチックかつ色気があふれる」と、前例のない体験に多くの女性が虜になったといわれています。
一方で、残忍なキャラクター性が日本人に対して差別を助長させかねないと物議をかもしました。
これは当時アメリカ西海岸で高まっていた排日運動が影響していると考えられます。
雪洲はロサンゼルスの日本人会との事情聴取や謝罪広告の掲載を行うも、排日運動は収まりません。
怒りを募らせた日系人、日本人からついに「国賊」と罵られるまでの騒ぎとなってしまうのでした。
その後身の危険を感じた雪洲は日本、パリ、アメリカを転々とし、1949年にハリウッドへ復帰したのでした。

今度は「日本をモチーフにした最初のハリウッド映画」について解説しましょう。
初めて採用されたのはジョン・P・マーカンド原作の『ミスター・モト』シリーズです。
1930年代に作られた本映画は瞬く間に人気を博し、初回の発表からわずか2年で8本の映画が作られました。
本作は「I’m sorry」を連発する日本人男性「I.A.モト」が主役です。
一見丁寧な物腰の彼ですが、礼儀正しすぎる言動に違和感を感じます。
それもそのはず、彼の正体は天皇直属の冷徹な密偵(スパイ)だったからでした。
天皇直属の密偵というのは現実ではあり得ません。
しかし、天皇という日本独自の存在が海外の方にはロマンに映ったのではないでしょうか。
そう考えると興味深いですね。
日本文化と一口に言っても、その分野は様々です。
ここではハリウッドで採用されやすい日本文化をご紹介しましょう。

侍、武士を始めとした時代劇が最初に思い浮かぶのではないでしょうか。
かつて日本にいた侍の存在や日本刀で戦う姿、武士道の理念に心を惹かれた方も多いでしょう。

過去、現代の時間軸にとらわれず、「忍者」を登場人物として劇中に参加させるのもアメリカ映画の特徴です。
ヒーローのように目立たずとも、ストイックかつ淡々と任務に取り組む姿に感銘を受けた方も多いのではないでしょうか。

海外で大人気の日本のアニメ・漫画。
これらをハリウッドで実写化する流れもあります。

日本の都市風景も題材に組み込まれることがあります。
特に東京、大阪など首都圏が採用されることが多いようです。
『ブラック・レイン』のように舞台が日本になることもありますが、『ブレードランナー』のように歌舞伎町と日本語の看板が採用されるパターンもあります。

ハリウッドが表現する日本の姿は、「海外の人から見た日本のイメージ」とも捉えられます。
現代日本と時に大幅に異なる様相は、時折カルチャーショックを感じることもあるようです。
そんなハリウッド映画ですが、兼ねてから「日本を表現する際の課題」があると考えられてきました。
これらの課題について紐解いていきましょう。
エンターテイメントの表現を重視していることから、画面が華やかでアグレッシブになることが多いです。
目まぐるしく映像が変わり、演者が立ち回る姿は「動」の表現だといえるでしょう。
一方で、日本文化では「もののあはれ」「無常」「幽玄」「侘び寂び」という、いわゆる「静」の表現が多いと考えられます。
時にその文化的価値観はハリウッドとの映像表現と乖離が起きたのではないでしょうか。

ハリウッドの映像表現と日本の文化の違いのひとつに、戦国時代の「城」の表現が挙げられます。
この「城」とは「大坂城」や「江戸城(現:皇居)」などが挙げられます。
戦国武将や江戸時代の将軍、大名の住まいとして使われていました。
従来であれば画面の賑やかしのために、エキストラの農民や商人を城の周辺に入れることがあったようです。
しかし、前述の通り本来の城は戦国武将や将軍、大名の住まいです。
農民や商人など一般市民が立ち入るのはとても叶うことではないものでした。
また、「忍者」は本来闇夜に隠れて静かに、しかし確実に任務を遂行する集団です。
しかし、独自の戦い方が一人歩きした結果、忍者が派手にアクションを繰り広げるという映像表現が出てくることもありました。
ちなみに「忍」という漢字の意味には「人目につかないよう隠れて行動する」という意味があります。
また、心情では「感情を抑えて平静を保つ」という様子も表します。
そのため、忍者が表立ってバトルを繰り広げてしまうと、本来の「忍者」とはまた別の戦闘集団となってしまうのです。
先述の通り、実際の日本文化と海外の方が捉える日本のイメージにずれがあるとお伝えしました。
それは時に文化・歴史的見解のずれや描写の違いが原因で批判や物議が寄せられたこともあります。
例えば先ほどご説明した「早川雪洲が『チート』で演じた残忍な登場人物」は、「日本人の差別につながる」と大きな物議をかもしました。
その影響は雪洲に「国賊」の汚名をつけられたほどです。
当時はアメリカで排日運動があったとはいえ、誤解を与えると考えられたのでした。
今ではインターネットやSNSである程度、世界中の情報を把握できます。
しかし、当時はなかなか遠い国の情報や実情を得ることが難しい時代でした。
その時代背景も影響していたと考えられるでしょう。

1955年に公開され、早川雪洲も出演した『東京暗黒街・竹の家』でも不正確な日本描写が物議をかもしました。
本作は「ヤクザ」「ゲイシャ」「フジヤマ(富士山)」を題材にした映画です。
この3つは当時の日本を象徴するステレオタイプでした。
冒頭富士山をバックに蒸気機関車が走るシーンがあります。
美しい映像ですが、実は現実で蒸気機関車が富士山周辺を走った歴史は存在しません。
このシーンを撮るために、わざわざ3日間運休して撮影したのでした。
本路線を管轄する富士山嶺電鉄(当時)はこの撮影に対して「公共の鉄道を運休できない」と断ります。
しかし、「国際親善と観光のため」と関係各所に説得され、やむなく運休を承諾した背景がありました。
「ステレオタイプの表現」と「地元住民の暮らし」どちらを優先すべきか。
この対応には一部疑問の声や物議が上がったと言われています。

また、2005年に公開された『SAYURI (メモリーズ・オブ・ゲイシャ)』は賛否両論が上がった作品です。本作は衣装、映像技術が美しいと賞賛された一方で、「芸者についての文化的な描写」が批判を浴びました。
本来の芸者は「芸術を極め、生業とする人々」を指します。
しかしそこに性的な内容を加えたことで、芸者に対して誤ったイメージを広めたことになってしまうのです。
さらに、原作者から取材を受けた元芸妓が名誉毀損として裁判を起こします。
その理由は「内容が不正確かつ、本来秘密にしておかなくてはいけない花街のルールを公開してしまった」という点でした。(後に和解)
ステレオタイプの一人歩きは「誤った文化・歴史的認識が広まるリスク」があります。
多くの人が見る映画だからこそ、この点は注意しておきたいポイントでしょう。

上述の通り、ハリウッドは「日本らしさ」の表現を試行錯誤していました。
時が流れ2024年に、革新的な映像作品が生まれます。
その名は『SHOGUN 将軍』。
ディズニープラスでリリースされると、瞬く間に世界中で人気を博しました。
その功績は第76回エミー賞などの受賞で讃えられています。
『SHOGUN 将軍』の魅力は正しい日本の姿を徹底的に表現したことです。
この表現を作ったのは主演である真田宏之氏と監督が繰り返し「対話」を重ねたことでした。
兼ねてから日本を題材とした映画では「現地の人が持つ日本らしさ・ジャポニズムのステレオタイプ」が優先されました。
その結果、いわゆる「正しい日本らしさの表現」が不足している状態だったといわれています。
2人は繰り返し対話を重ね、「日本人が肌身で実感する日本らしさ」の表現にこだわりました。
そのリアリティが、私たち人々の心を掴んだと考えられるでしょう。

1900年代から「日本文化」を表現しようと多くの人々が挑戦したハリウッド。
時に誤解やステレオタイプの先行がありました。
しかし、どの作品も「日本の魅力を伝える」ことを真摯に試行錯誤していました。
制作に携わった全ての人々も、そのミッションに対して熱意を持って取り組んでいたように感じます。
ハリウッドと日本の映像表現は時に社会情勢や時代の流れに翻弄されました。
その中でも「伝えたい」という思いは不変の真理として人々に受け継がれていったでしょう。
ハリウッドと日本文化の関係性は「異なる文化やルーツを持つ人々が、どのように相互理解を深めるか」について、現代の私たちに問いかけているのではないでしょうか。
様々なことが目まぐるしく起こる今だからこそ、丁寧に向き合って考えてみたいものです。