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どのくらい違いがある?「SHOGUN 将軍」の物語と、史実を比べてみよう

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2024年にディズニープラスで配信が始まった「SHOGUN 将軍」。
シーズン1として全10話が公開され、第82回ゴールデングローブ賞・第76回エミー賞を受賞しています。

このドラマは、イギリス人作家ジェームズ・クラベルの同名小説が原作です。

圧巻の映像クオリティと重厚な人間ドラマが織りなす物語で多くの人々を虜にしたSHOGUNですが、史実と連動する点はあるのでしょうか。
この記事で探っていきましょう。

【注意】

本記事は「SHOGUN 将軍」 シーズン1のネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

【公式が明言】史実の偉人をモデルにした登場人物

SHOGUNは史実を元にした小説のため、偉人が本名で出てくることはありません。しかし、公式HP「inspired by」と記載されたキャラクターは実在した偉人をモデルにしたことを明言しています。

inspired by:(他者や物事)から影響を受け、アイデアを生み出す

ここでは「inspired by」と明記された主な登場人物を紹介していきましょう。

劇中のキャラクター名モデルとなった偉人史実での活躍
吉井虎永 (主人公)徳川家康江戸幕府初代将軍。

関ヶ原の戦い以前は、豊臣家以外の有力大名で構成された「五大老」の筆頭となった。

関ヶ原の戦いでは東軍を率い、石田三成と対峙する。
按針ウィリアム・アダムス
(三浦按針)
イギリス人航海士、貿易家
水先案内人。

後に外交顧問、通訳として家康に仕える。
戸田鞠子細川ガラシャ
(細川たま、玉子)
明智光秀の娘で、細川忠興の妻。
キリスト教徒で、「ガラシャ」は洗礼名。

石田三成によって人質とされかけるも、抵抗の意思を落命で示す。
石堂和成石田三成豊臣秀吉に仕えた武将。
秀吉が亡くなった後、吏僚から構成された「五奉行」の一角として政権の実務を担う。

台頭した家康と敵対し、関ヶ原の戦いでは西軍を率いる。
落葉の方淀殿豊臣秀吉の側室。
後継ぎである豊臣秀頼の生母。

史実と劇中の描写を見比べてみよう

「SHOGUN 将軍」の原作は小説のため、史実と異なる展開が一部繰り広げられます。
この章では、いくつか史実との違いや、比較したい重要な要素をピックアップして解説します。

家康と太閤(秀吉)の関係

物語は「太閤の死後」から始まりますが、ここでいう「太閤」は秀吉を示唆しています。
劇中で「虎永(モデル:家康)は太閤に寵愛を受けていた」とありますが、史実でも良好な関係だったのでしょうか。

実は、そこには複雑な感情をお互い抱いていたのではないかと考えられます。
その理由は「家康と秀吉がライバル関係だった」からです。

信長の死後、どちらが後継者となるか秀吉と家康は「小牧・長久手の戦い」で争いを繰り広げました。
この戦いの時点では秀吉が有利に立ち、家康は秀吉の家臣になる苦渋の決断をします。

臣下となった家康は実務で秀吉の信頼を勝ち取り、豊臣政権で重要な役割を担いました。
その手腕は秀吉が世を去る直前に、自身の息子かつ豊臣家の後継ぎである秀頼の後見を依頼されたほどです。

それだけ家康は秀吉の信頼を得られたと考えられますが、相手は知恵が冴える秀吉です。
天下を取れるだけの実力があったからこそ、後見を依頼することで家康に対して牽制をする目的もあったと言えるでしょう。

「SHOGUN 将軍」ではこれらのやり取りは描かれていないため2人の関係性は不明です。
とはいえ、「寵愛」は可愛がる意味合いが強い表現です。

そのため、上記のライバル関係や牽制しあう関係性は考えにくいと筆者は考えます。

鞠子と按針の出会いと絆

「SHOGUN 将軍」シーズン1の見どころの1つは、「鞠子と按針の関係性」です。

冒頭鞠子が按針の通訳を担当し、関係を深めていくことも物語の鍵を担います。
しかし、史実で2人は関係性を深めるどころか、対面すら果たしていません。

按針が豊後(現代の大分県)に漂着した1600年当時、鞠子のモデルである細川ガラシャは大坂の細川屋敷にいました。
夫である細川忠興は18万石の大名だったため、行動の自由はありません。
外に出られたとしても、南蛮人(現代でいう外国人)にガラシャが会うことは非常に至難の技でしょう。

まだ日本にキリスト教が浸透していない時代に、キリスト教を信仰する共通点が創作に影響を与えたのではないかと考えます。

家康と按針2人の関係性

劇中按針は網代(現代の静岡県熱海市)に漂着し、網代の領主が虎永の甥だったことから出会います。
一方、史実では豊後に漂着し、長崎奉行の寺沢広高に身柄を拘束されます。

その後の処遇を豊臣秀頼に委ねられる中で、最終的に徳川家康によって指示を任されたことで、2人は出会いました。

ちなみに家康は当初按針たちの船を海賊船だと疑っていたようです。
しかし、按針が属するオランダ・イングランドのプロテスタントと、スペイン・ポルトガルが属するカトリックとの争いを忖度なく話す姿勢をいたく気に入り、2人の絆が深まりました。

また、史実の按針は家康の通訳・外交顧問として手腕を発揮します。
日本とオランダ、イギリスと交易を開始することで、家康は当時の世界情勢をかなり詳しく把握できたといわれています。

後の世で日本は鎖国を行いましたが、数少ない貿易国としてオランダが残りました。
按針の成果が鎖国の状況下でも残ったと考えると、一個人として誇らしく思うエピソードです。

大砲は誰のもの?

史実では、按針たちが持っていた大砲や火縄銃などの武器は広高に没収されました。
その後没収された大砲は家康の手に渡ったといわれています。

反面、「SHOGUN 将軍」第4話では、虎永は按針に対して西洋式の砲術を指導するよう命じられます。

海戦式の知見と手法で大砲を操り、たどたどしい日本語でやり取りを重ねる按針の苦労が伺えるシーンです。

按針が直接虎永(家康)と出会っているため、大砲の使い方もすぐに学べたというのも大きいでしょう。

しかし、実際にこの大砲が関ヶ原の戦いで使用され、家康率いる東軍が勝利したというのはあくまで仮説に留まります。

正式に大砲が戦いで使われたのは、後に勃発する大坂冬の陣だといわれています。
ここで使われた大砲は「カルバリン砲」といい、按針が尽力したイギリス商館から家康の手に渡りました。

カルバリン砲は精度が万全でなかったようですが、大坂城に著しいダメージを与え、淀殿に仕える侍女の命を奪いました。

これにより豊臣家側の戦意を削ぎ、後の大坂夏の陣で豊臣家滅亡につながっていくのです。

家康と虎永の「策略」

家康と虎永は策略家としての面を覗かせますが、そこに至る経緯は少々異なります。

まず、家康は幼少期から人質となったり家族や領地を奪われるなど、外部の有力武将からの圧力に晒され続けます。
自分だけではどうしようもできない苦難の荒波の中、じっと耐え抜く姿勢が求められました。

一方、虎永は「戦の神童」と讃えられつつも、実態と異なるひ弱な過去が隠れています。
名声にもてはやされながらもまとわりつく過去の苦い経験が、敵味方も翻弄する策略家を生み出しました。

史実の家康と虎永に共通しているのは、「たぬき」です。
相手をずる賢い策略で騙したかと思いきや、臆病で寝たふりをしながら危機が過ぎるのを待つ。
ただ「格好良いヒーロー」でなく、ずるさや臆病さという人間味あふれる2人の姿は、時に親近感を覚えるのではないでしょうか。

落葉の方の出自

落葉の方は幼少期鞠子と一緒に遊びながら育ったとされています。
しかし、史実では淀殿とガラシャが幼少期会っていた点については特段の記述はありません。

この描写はおそらく淀殿が織田信長の姪、ガラシャの父明智光秀が信長の家臣だったことが影響していると考えます。

劇中で鞠子の父「明智仁斎」が落葉の方の父「黒田信久」を討ったという表現があります。
2人の父にモデルの明言はないものの、明智仁斎は「明智光秀」、黒田信久は「織田信長」が当てはまると推察できます。

さらに、仁斎が信久を討った事件は「本能寺の変」を示唆しているとも考えられるでしょう。
第6話では、落葉の方が石堂に対して「虎永を討つべき」と訴えます。
鬼気迫る様子で訴える理由は、かつて虎永が父の命を奪ったと考えていたためです。
策略家で腹の内が見えない虎永を疑うのは、父の敵を取りたいと強く願ったからでしょう。

なお、史実の淀殿の父は浅井長政で、信長は叔父に当たります。
この点も落葉の方が「虎永が父を手にかけた」と、恨みの炎を燃やすエピソードを深めています。

史実と違いがあるのはなぜ?

これらのように、「SHOGUN 将軍」の物語には史実と異なる展開・関係性がいくつか取り入れられています。
なぜ、史実と一部異なる描写が取り入れられるのでしょうか?

様々な理由はありますが、筆者は「IF:もしも」を見たいという思いがあるのではないかと考えます。

例えば、鞠子と按針は史実では対面していません。
また、鞠子のモデルである細川ガラシャには通訳ができるほど英語が話せたという記録も残っていないのです。

しかし、劇中で彼らは南蛮人と通訳という形で出会い、心を通わせました。
2人の共通点は当時日本で異端だったキリスト教に深く関わっていた点です。

「もしも」2人が出会っていたら、このようなやり取りをしていただろう。
史実とあえて異なるIFストーリーを考え創作することも、歴史のロマンと言えるのではないでしょうか。

ちなみに筆者は「もしも」織田信長が本能寺の変で命を落とさず、そのまま天下統一を果たしていたらどうなっていたのか。そのIFストーリーも考えてみたいものです。

まとめ:
史実と比較したIFストーリーに深みあり。今後の彼らの活躍を期待しよう

この記事では、「SHOGUN 将軍」における劇中でのストーリーと、史実との違いを比較しました。
史実と異なるシーンがあるものの、どれもが物語や人間関係に深みを与える「IF」の物語になっています。

このロマンと深みが、「SHOGUN 将軍」の魅力の1つといえるのではないか。筆者はそう考えます。
2026年から公開されるシーズン2での彼らの活躍が、今から楽しみです。

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