
「武士道」とは?意味を辿ると日本人の精神性が見えてきた

ちょんまげ頭に刀を持ち、袴と鎧を着用して戦う「武士」。
現在の日本では武士の姿を見ることはなくても、創作でその存在を見ることができます。
そのジャンルは歴史小説や時代劇、ドラマ、漫画、アニメなど多岐に渡ります。
海外で日本のことをあまり知らなくても、その姿と名前を耳にしたことは1度はあるでしょう。
筆者も研修で海外に数回行きましたが、武士に関わる話を単語を聞くことがありました。
中にはローマ字で「Samurai(侍)」といった言葉を見かけるほどです。
武士は長い歴史の中で、日本文化や日本人の精神性に大きな影響を残しました。
その1つは「武士道」という彼ら独自の美学です。
英語でも「Bushido」というローマ字である程度言葉が通じるようでした。
とはいえ、具体的にどのような精神性を持っているかご存知でしょうか?
この記事では、世界に広まった「武士道」と武士の生き方を、歴史や文化を通して解説していきます。
そもそも、「武士」とはどのような人だったの?
武士道を解説する前に、「武士」という人々はどのような人だったのか見ていきましょう。
武士とは

武芸を職業とし、主君または国家に仕えた支配階級の男性を指します。
主に中世・近世(鎌倉時代〜江戸時代の終わりまで)の時代の日本の支配階級でした。
語源は武芸の「武」と男性を表す「士」を合わせたものです。
武士の源流は諸説ありますが、貴族の警護に仕えていた者や下級貴族からなる武芸集団、地方の有力農民や豪族などが当てはまると考えられています。
平安時代末期に活躍した「平氏」や「源氏」が代表格といえるでしょう。
ちなみに平氏は桓武天皇(かんむてんのう)のひ孫である高望王が、源氏は清和天皇の孫である源経基が臣籍降下して武士となったのが始まりです。
どちらも天皇をルーツに持つ点にロマンを感じますね。
侍との違いは?
よく「侍」も武士と似たような存在だと言われますが、厳密にはそれぞれ異なる役割を果たしていました。
具体的な違いについて、以下の表で違いを確認していきましょう。
| topic | 武士 | 侍 |
|---|---|---|
| 業務内容 | 武芸に関わること全般 | 貴人に仕え、彼らを警護する |
| 語源 | 武芸の「武」+ 男性を表す「士」 | 貴人に仕える「さぶらう |
ただし、江戸時代には武士の多くが幕府や大名に仕えるようになったことをきっかけに、武士と侍の区別は曖昧になりました。
武士の主な業務内容
時代によって主な業務内容が変わるため、それぞれの時代ごとに見ていきましょう。
※ここでは主に「侍」の業務内容に着目して解説します!
| 時代 | 業務内容 |
|---|---|
| 鎌倉・室町時代 | 現代でいう個人事業主のイメージ ・武芸の鍛錬 ・有事の際に将軍や幕府を守るべく戦う ・自分の領地の守護、運営 ・京都にある皇居や院を守る |
| 戦国時代 | ・他武将との戦闘に参加 ・領地の支配、徴税 |
| 江戸時代 | 現代でいう公務員のイメージ 政治面が主流で、戦闘を行う仕事はほぼなくなった ・領地または藩の統治 ・城の警護 ・寺子屋(小学校)の講師、家事手伝いの内職を兼務 ※下級武士の場合 |
「武士道」の精神性を探ってみよう

武士は時代によって役割や業務内容が変わっていきました。
しかし、「武士道」という精神性は常に変わらず後世へ受け継がれたと言われています。
そこで、改めて「武士道」の考え方について探ってみましょう。
先ほどお伝えした武士の役割を照らし合わせながら、ご覧ください!
「武士道」の考え方

武士道とは、武士が大切にすべき道徳・倫理のルールをまとめたものです。
その基礎は武士が台頭した鎌倉時代からありましたが、完成したのは江戸時代だと言われています。
主な特徴は儒学思想(特に朱子学)との結びつきを元とした「七徳」と呼ばれる考え方です。
| 用語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 義 | ぎ | 正義を行うこと。 「正しいことを正しく行う」という武士道の最も大切な美学である。 |
| 勇 | ゆう | 義(正義)を遂行するための行動力。 恐れを感じても、知恵と覚悟を持って踏み出す勇気が必要とされた。 |
| 仁 | じん | 人に対する愛情や思いやり。 力を持ち合わせた武士だからこそ、弱い立場の人を思いやり守る姿勢が大切と考えられた。 |
| 礼 | れい | 礼儀や作法、言葉遣い。 形だけでなく「心が伴った姿勢」であることが重要とされている。 |
| 誠 | まこと | 嘘偽りなく、誠実であること。 「武士に二言はない」という考えのもと、言葉と行動が一致する「言行一致」の言動が求められる。 |
| 名誉 | めいよ | 自身の品位や名誉を重んじ、それに反する行動を避けること。 他者からの評価でなく、あくまで「自分が恥ずかしくない生き方をしているか」を自らに問い続ける事が重要である。 |
| 忠義 | ちゅうぎ | 主君への絶対的な忠誠心 (主君の過ちをいさめることも含む) 主君だけでなく、自らが信じるものに心から仕える姿勢が求められた。 |
「武士道=死!?」死にまつわる話が多い理由
武士を題材にした物語では「自刃」(じじん)をして自死を選ぶシーンが時折見られます。
「敵の手に落ちる前に自ら命を絶つ」という場面が時代劇で出てくる印象が強いですが、なぜ生きて再起を図る道を選ばずに自ら死を選んだのでしょうか。
その考えには先ほどお話した「七徳」の中にある「名誉」の考え方が挙げられます。
戦いに負けて敵に背を向けて逃げ、生き恥を晒すよりは自ら命を終わらせ潔く散ることが死に花として美しいとされていたのです。
国民的アニメ「ONE PIECE」の登場人物の剣士であるロロノア・ゾロも敗北の際に「背中の傷は剣士の恥だ」と話しました。
主人公のチーム「麦わらの一味」で一番義理人情に篤い彼は、まさに「武士道」の生き様を示しているといえるでしょう。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
また、類似の精神性として「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」(武士道とは死ぬことと見つけたり)という言葉がその答えを示しています。
この言葉は江戸時代中期に山本 常朝(やまもと つねもと)によって武士の心得をまとめた書物『葉隠』の中で述べられています。
この言葉には以下の意味が込められているのが特徴です。
① 生死の二択を迫られたら、迷わず死を選ぶこと
(=二択のうち、選択するなら迷わず困難な方を選ぶこと)
② 死に物狂いで動くことで、最高のパフォーマンスを出すことができる
③ 死を意識することで生の大切さと真の生き方を見つけられる
④ 自分がいついなくなっても良いように、周囲が困らないよう手立てをしておく
ただし、この言葉ではあくまでも「死にもの狂いで物事をやり遂げること」「常に死を覚悟することで目の前の責務を全うする」ことの大切さを説いています。
山本 常朝自身は生きることも好きだと併せて話しています。
そのため、安易に命を捨てたり死を美化しているのではないという点は注意しましょう。
武士がいなくなっても武士道は残り続けた

武士は2025年現在の日本には存在しませんが、武士道の精神は脈々と日本人に受け継がれています。
その理由と背景を歴史・文化の側面から見ていきましょう。
武士の存在が消えた理由
1867年の大政奉還がきっかけで、およそ700年続いた武士の時代は終わりを迎えました。
明治政府の誕生により武士は「士族」として身分が定義され、それまで従事した武芸から農業などの仕事に転身していきます。
廃刀令(刀の所持の禁止)が出たことで刀を持つことがなくなり、ちょんまげ頭は文明開化による西洋文化の到来にてざんぎり頭(西洋風のショートヘア)に装いが変わりました。
それでもある程度武士の名残が残っていた士族の身分ですが、1947年に施行された日本国憲法によって廃止され、現代の日本で武士の存在が完全になくなりました。
武士道の精神は後世にまで残り続けた
武士の身分制度の廃止と急速な西洋化は、一部の武士たちに大きな反発を引き起こします。
結果として一部の地域で反乱が発生してしまいましたました。
なぜここまで反乱を起こしてまで明治維新と西洋化を推し進めたのでしょうか。
その理由は富国強兵の考え方が素地にあるといえます。
明治時代当時、欧米諸国は当時最先端の技術と軍事力を持っていました。
ペリー来航をきっかけに不利益な条約を多々結んでしまったことから、対等になるために欧米にならって富国強兵をしなくてはいけないと考えたのです。
つまり、反乱を受けても進めた理由はただ日本をより良い国に発展していきたかっただけであるといえます。
あくまでも日本独自の文化や武士、侍の生き方全てを否定する意図はなかったのでしょう。
そのためか、武士道に限っては明治維新後には全国民が見習うべき「国民道徳」として受け継がれていくことになります。
例え武士がこの世から消えても、彼らのの美しい生き様や心構えは後世に残すべきだと時の人が考えたのではないか。
そのように筆者は考えています。
その後1899年に思想家・教育家である新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)が日本人の道徳の素地となる「武士道」を西洋文化と比較しながら紹介した著書「武士道」(英語タイトル:Bushido:The Soul of Japan)が英文で発行され、海外でも広く知られるようになっていきます。
まとめ:
武士道の姿勢は後世の日本人にもつながり、求められているかもしれない

「大切な人や物事とは誠実に向き合うこと」
「礼節を重んじ自らに恥じない生き方をする大切さ」。
これら武士道の考え方は、後世に生きる私たちに問いかけるものが多々あります。
どうしても現代社会は「効率良く結果を出して生きること」が求められがちです。
しかし、そこに自分の真心や関わる相手の気持ち、物事に対する誠実さは常に存在しているのでしょうか?
ふと立ち止まると、そう考えてしまいます。
忙しない時代だからこそ、人として大切な生き方はどのようなものなのか。
そう「武士道」は私たちに常に問いかけているのではないでしょうか。
国民の道徳として残してくれたのも、きっといつの世にも通じる大切な教えだと当時の人々は考えてくれたのでしょう。
改めて、武士道の精神のもと仕事の取り組みや周囲への接し方を大切にしていきたいです。













