
多くの人を虜にした「源氏物語」の魅力を語ります
前回の記事では平安時代に成立した「枕草子」についてお伝えしましたが、今回は同時期に成立し、「枕草子」と対をなす平安時代の代表的な文学である「源氏物語」について解説します。
は現代日本でいう「イケメン」を表現した先駆けとなった源氏物語ですが、一人の男性の輝かしい人生だけでなく栄光の陰にある苦労や葛藤を細やかに表現しているのが魅力です。
今回は「源氏物語」を平安時代当時の文化や「枕草子」との違いと比べながら、その魅力について深く探っていきましょう。
「源氏物語」とは?

源氏物語とは、紫式部(むらさきしきぶ)が執筆し、平安時代中期に成立した日本の長編小説です。
全54帖(帖=巻数)で構成されており、1008年に成立しました。
前回の記事の「枕草子」とあわせ、平安時代の女房が書いた二大文学の1つと言われています。
物語の特徴と、後世に与えた影響
物語では主人公の光源氏と姫君たちとの恋物語と彼自身の人生の栄華と衰退、彼亡き後の登場人物の恋と人生の話が展開されます。
光源氏と姫君たちとのやり取りやキャラクター像は後世に大きな影響を与えました。
また、本作では日本文化の考え方の一つである「もののあはれ」を確立したと言われています。
物語のあらすじ

平安時代。時の帝である桐壺帝と桐壺更衣の間に美しい男児が生まれました。
母親は他の妃からの嫌がらせが原因で、彼が3歳の時にこの世を去りますが、男児は美貌と才能を発揮しながら成長していきます。
父親の桐壺帝は男児を次の帝にすることを考えましたが、「帝になると国が乱れる」という予言から、彼に「源氏」の姓を与え臣下に下しました。
ここから「光源氏」と周囲から呼ばれるようになり、華やかな恋物語と人生の栄華への道を進み始めます。
主な登場人物
| 登場人物 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 光源氏 | ひかるげんじ | 主人公。皇族の立場ながら臣下に降り、恋の浮名を世間に広げていく。 イケメンかつプレイボーイ。 |
| 紫の上 | むらさきのうえ | 光源氏の正妻。恋多き光源氏に翻弄されながらも、 一途に光源氏を愛していく。 幼名(子供の頃)の名前は「若紫」(わかむらさき)。 |
| 桐壺帝 | きりつぼてい | 光源氏の父で物語開始時の帝。 |
| 桐壺更衣 | きりつぼのこうい | 光源氏の実母。桐壺帝に愛されながらも、他の后からの嫉妬による嫌がらせに遭い、その心労から光源氏が幼い頃に亡くなる。 |
| 朱雀帝 | すざくてい | 光源氏の腹違いの兄で、物語開始時は東宮。後に帝になる。 母は桐壺更衣に嫌がらせを中心になって行ってきた弘徽殿女御(こきでんのにょうご)。 晩年彼の娘である女三の宮を光源氏に託す。 |
| 薫 | かおる | 光源氏亡き後の主人公。 彼と帝の娘である女三の宮との間に生まれたとされる息子と言われているが…。 |
【一部ネタバレ注意!】光源氏が愛した主な女性たち

光源氏が愛した主要な女性たちは以下の通りです。
本記事では物語の流れに影響を与える女性を筆者個人がピックアップし、一部抜粋してご紹介します。
| 登場人物 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 紫の上 | むらさきのうえ | 光源氏の正妻。 藤壺女御とは親戚の関係のため容姿が似ていることから、幼い頃に光源氏に引き取られ、成人と同時に妻となった。 美人で教養が高いことで有名。 |
| 藤壺女御 | ふじつぼの にょうご | 光源氏の父である桐壺帝の后。実母である「桐壺更衣」に似ていると言われ、母の面影を求める姿勢がやがて恋愛感情へと変わっていく。 後に光源氏と関係を持ち、「冷泉帝」を産む。 |
| 葵の上 | あおいのうえ | 光源氏の最初の正妻。プライドが高くツンとした態度から光源氏との結婚生活は当初うまく行かなかった。 後に後述の生霊の影響で体調不良に陥り、命を落とす。 わずかな時間ながらも光源氏との関係は改善し、息子「夕霧」(ゆうぎり)を残した。 |
| 夕顔 | ゆうがお | おっとりとした女性で、親友である頭中将の元愛人。 葵の上と同様生霊の被害に遭い、それが原因で命を落としてしまう。 |
| 六条御息所 | ろくじょうの みやすどころ | 光源氏より年上の女性。 他の女性と恋する光源氏に嫉妬し、それが原因で生霊となり葵の上と夕顔の命を意図せず奪ってしまう。 |
| 玉鬘 | たまかずら | 夕顔の娘。光源氏が父親代わりとして保護する。 光源氏の支援に感謝しつつも、彼からのアプローチを毅然と断る意思の強い女性。 |
| 朧月夜 | おぼろづきよ | 光源氏の兄である朱雀帝の彼女に当たる女性。 光源氏とは一夜限りの恋をしたが、それが原因で朱雀帝の母親に当たる弘徽殿女御(こきでんのにょうご)や彼女の実家である右大臣家から謀反の疑いをかけられてしまう。 |
| 明石の上 | あかしのうえ | 光源氏が謀反の疑いを晴らすため須磨(すま:現在の兵庫県神戸市須磨区)から明石(あかし:現在の兵庫県明石市)に移り住んだ際に出会った女性。 光源氏から熱烈なアプローチを受けるも、身分の違いに悩んでいた。 後に一人娘を光源氏との間に設けるが、子供のいない紫の上の元で育てられることになる。 |
| 花散里 | はなちるさと | 光源氏の妻の一人。落ち着いた雰囲気で光源氏は様々なことを彼女と談笑していた。 後に母を亡くした夕霧の育ての親となる。 |
| 末摘花 | すえつむはな | 噂を聞いた光源氏が関係を持つが、容姿が整っていないことにがっかりされた女性。 贈り物や服装のセンスのなさを光源氏から酷評されるも、一途に光源氏も待ち続ける健気な女性である。 |
| 女三の宮 | おんなさんのみや | 異母兄の帝の娘。彼に頼まれやむなく結婚したが、彼女に恋をしていた柏木(かしわぎ)という別の男性の子供を身ごもってしまう。 |
当時のイケメン・美人の条件とは?
劇中で光源氏は美男子ともてはやされ、紫の上は美女だという表現が出てきます。
対照的に、一部の女性は容姿が整っていないと辛口な表現があり、特に末摘花の表現はすさまじいです。
現代日本の美的基準と異なるところが多いため、一緒に確認していきましょう。
男性の場合
・家柄、身分(最重要!)
・色白で細身
・長い黒髪
・所作や話し方が優雅
・和歌や漢詩の才能に優れている
・楽器の演奏がうまい
・美文字
・贈り物のセンスが良い
・教養がある
・服装のセンス
(季節や場面にあった組み合わせ)
・気の利いた会話ができる
女性の場合
・家柄、身分(最重要!)
・色白で艶やかな黒髪
・しもぶくれの輪郭と細い目、おちょぼ口
・まぶたはスッキリとしていて腫れぼったくない
・体格はふっくらしている方が良い
・教養が深く、和歌の内容や返事が粋
・楽器(特に琴)の演奏が上手
・服装(十二単の配色)のセンスが良い
・奥ゆかしく機知に富んでいる

この重ね方と配色の組み合わせは「襲の色目」(かさねのいろめ)と呼ばれ、季節や場に適した配色にすることが求められました。
当時は直接会って顔を見たり、性格や価値観を知ることが非常に難しい時代でした。
そのため、家柄や手紙の内容、文字の美しさで人柄を知ろうとしていたのです。
教養や楽器の演奏、服装のセンスなどもイケメン・美人の条件に含まれていたようなので、かなり求められる条件が多いのは驚きですね…。
作中で光源氏や紫の上はほぼ全てこれらの条件に当てはまっていたようなので、2人のポテンシャルの高さが伺えます。
逆に、末摘花や玉鬘の紹介を見るとワシ鼻や大きい目、痩せすぎた身体はあまり好まれないようでした。
現代ではすらっとしたスタイルやパッチリとした瞳が美人の条件で挙げられるので、ここは当時との違いが見られます。
本作の特徴

本作では「もののあはれ」の考え方を確立したと言われています。
「もののあはれ」とは、物事をしみじみと静かに感動したり、じっくりと味わう姿勢のことです。
時に哀愁や物事が絶えず移ろい変化していく様子を表す「無常」の表現が伴い、その表現は季節の変化や人々の感情の様子をきめ細かい描写で表現しています。
現代でいうと、エモーショナル(emotional:感情的な)を基にした「エモい」という言葉が意味として近いでしょう。
「もののあはれ」が確立した背景と、「をかし」の違い
この表現が確立した背景としては、紫式部自身の人柄や宮廷での暮らしに失望を感じた点が大きいといわれています。
枕草子の「をかし」の考え方も「物事に対しての感動」という点を表現している部分は似ていますが、こちらは「すごい!面白い!!」と明るく軽やかな感じ方になる点が異なります。
筆者個人としては、春に桜が咲いてウキウキとしながらお花見を楽しむ様子は「をかし」、秋の夕暮れで日が短くなり、季節の変化をしみじみと感じつつ少し寂しい感情を持つ様子が「もののあはれ」に一番近いかなと感じます。
【個人的解説・ネタバレ注意】
「察する」文化と「余白」

全54帖ある源氏物語の中で、唯一タイトルのみの巻があるのはご存知でしょうか?
そのタイトルは「雲隠」(くもがくれ)。
この巻の直後から光源氏の子孫の話が始まるため、この「雲隠」では光源氏が世を去った話であることを暗喩しています。
実は光源氏の晩年やこの世から旅立つ様子は詳しく作中で書かれていません。
あえて全てを詳しく書かず、余白をもって読者に情景を想像させる手法は「察する」コミュニケーションを重んじる日本の文化を表現する重要な事例であると考えています。
作者「紫式部」について
紫式部は一条天皇の中宮彰子(しょうし。あきことも読む)に仕えた女房です。
幼い頃から漢詩や和歌を嗜み、父親が「この子が男の子なら大成した」と言われる腕前だったようです。
彰子に仕えた当初は父親の姓から取った藤式部(とうしきぶ)と呼ばれていましたが、源氏物語が宮中で人気を博してからはヒロインである紫の上から名をとって「紫式部」と名を変えたと言われています。
2024年にはNHK総合で紫式部の生涯をモチーフにした大河ドラマ「光る君へ」が放映されました。
「源氏物語」から紐解く平安時代当時の文化
源氏物語では、平安時代当時の文化や生活様式を多々見ることが出来ます。
知っておくと日本文化の理解だけでなく、物語の理解が深まるので、いくつかのトピックに分けて共有しましょう。
帝を取り巻く結婚と政治関係

平安時代当時の結婚は一人の夫に複数の妻がいる「一夫多妻制」でした。
それは帝も例外ではありません。
東宮を産んだ妃は後々中宮(皇后)となり、彼女の実家は外戚、とりわけ中宮の父親は「次の帝の祖父」として政治で大きな権力を持つことができることから、各々の実家は自分の女を入内させることに力を注いでいました。
後世では家の後継となる男児を産むことが望まれていましたが、平安時代当時は「帝に嫁いで後継を産むことが家の繁栄につながる」という理由で女児が生まれることが喜ばれたようです。
用語解説
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 東宮 | とうぐう | 次の帝になる男児。 |
| 外戚 | がいせき | 帝の母方の親族。 |
| 入内 | じゅだい | 帝の住まいに入ること。事実上の結婚に当たる。 |
妃の身分
妃の身分は上から3つに分けられます。
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 中宮 | ちゅうぐう | 皇后(こうごう)とも。 帝の正妻にあたり、制度上は帝と同等の身分に当たる。 |
| 女御 | にょうご | 皇族の女性または大臣の娘が相当。 中宮がいない場合は、原則東宮を男児を産んだ女御が中宮となる。 |
| 更衣 | こうい | 大納言以下の娘が相当。 妃としては身分が低い。 |
光源氏の実母は妃の中では身分の低い「更衣」ながら、帝に深く愛されました。
これが彼女より身分の高い女御たちから嫉妬を買い、嫌がらせを受けるきっかけにつながります。
とりわけ光源氏の腹違いの兄である朱雀帝を産んだ弘徽殿女御(こきでんのにょうご)からの嫌がらせがひどく、光源氏本人も彼女から強く恨まれるようになります。
その恨みぶりは朱雀帝の彼女と光源氏が恋仲となった時は、朱雀帝本人は光源氏を許しているのに弘徽殿女御と彼女の実家である右大臣家は政敵を潰すと言わんばかりに光源氏に謀反の疑いをかけます。
桐壺更衣本人だけでなく、矛先が息子の光源氏にまで向かう恨みが恐ろしいです。
妻同士が不仲だと、子供同士も仲が悪い?
一人の夫に複数の妻がいるため、妻同士が不仲ということは当時よくある話でした。
だからといって母が異なる兄弟姉妹たちも仲が悪いかというと、そうではないようです。
その理由を光源氏の異母兄である朱雀帝に例えてお話しましょう。
光源氏が彼女である朧月夜に手を出した際、朱雀帝本人はあまり怒っていませんでした。
しかし、これを機に実母である弘徽殿女御と、母親の実家である右大臣家は光源氏に謀反の疑いをかけてしまいます。
母が異なるとはいえ兄であり、また当代の帝である朱雀帝は母や実家の怒りを止められず、光源氏は須磨へと旅立ってしまいます。
この出来事を既に亡くなっていた父である桐壺帝に夢枕で叱られ、母たちの反対を押し切って光源氏を都へ戻し、光源氏に謝罪したのでした。
母と弟の間に挟まれ、弟を地方に追いやったことを亡くなった父親から叱られた朱雀帝は心労から眼の病を患ってしまいます。
ストレスが原因で病を患う描写は気の毒ですが、大切な人同士の間に挟まれて悩む朱雀帝は現代にも通ずるところがありますね。
光源氏は皇族?一般の人?

光源氏は父が帝のため、なろうと思えば帝の位に就けるはずでした。
実際父である桐壺帝も彼を次代の帝にすることを望みましたが、劇中では他の人と一緒に帝に仕えて仕事をしています。
その理由は光源氏に対して桐壺帝が「臣籍降下」(しんせきこうか)の指示をしたからです。
臣籍降下とは皇族を一般の身分に下し、他の家臣と同じ扱いをする対応のことをいいます。
光源氏の場合は劇中高麗(こうらい:現代の朝鮮半島にあった国)の占い師から「帝になると国が乱れる」と予言されたことから臣籍降下となりました。
現実世界ではその他にも以下の理由から臣籍降下をされる事例があったようです。
・皇族の数が増えすぎると国家の経済的負担がかかるため、皇位継承者以外の皇族を定期的に臣籍降下させて人数を調整する
・女性皇族が臣下の男性と結婚して皇族を離れる。
(臣籍降嫁。この場合は「相手の男性の元へ嫁ぐ」という意味合いだと理解しやすいです。)
・臣下の家の養子になる。後継者になる。
・犯罪に手を出したことに対する罰。(謀反を企てる、犯罪に加担する、呪詛するなど。)
劇中で出てくる重要な文化

劇中では平安時代当時の日本文化や暮らしを知ることができます。
現代の日本とは異なる点が多々あるので、詳しく解説していきましょう。
① 人生の出来事
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 元服 | げんぷく | 髪を結い冠を被る。 冠を被せる「加冠役」(かかんやく)の担当者は事実上後見人と見なされた。 |
| 裳着 | もぎ | 女児の成人式。 十二単の後につける「裳」(も:スカートのようなもの)をつける。 女児の成人式では裳着に加えて、眉をそり歯を黒く染める「お歯黒」も同時に行われた。 |
| 出家 | しゅっけ | 世俗から離れて生活すること。 死後に極楽浄土へ向かうことを願って仏道で修行する目的だけでなく、恋や政争に疲れて社会から一線を引く意図もあった。 劇中登場人物が出家を拒否したり認めないと発言するのは、「出家=社会的な死」を意味しているため。 出家が決まった家族はお葬式と言わんばかりに涙に明け暮れたとか。 男性は髪を剃り、女性は肩近くまで髪を切る「尼削ぎ」をする。 通常は家族や友人と会えないが、現実世界では出家しても通常通りの生活を送る人もいた。 |
② 仕事
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 出仕 | しゅっし | 次の帝になる男児。髪を結い朝廷に出て仕事や会議に参加すること。 今でいう「出社」「出勤」に近い。 |
| 殿上人 | でんじょうびと | 帝が普段日常生活を送る清涼殿(せいりょうでん)にある部屋に立ち入ることを許されていた身分の人。 殿上人になることが当時の平安時代の一種のステータスであった。 |
| 物忌み | ものいみ | 運気が良くないと言われる時期。 当時陰陽道(おんみょうどう)と呼ばれる占いが重要であり、物忌みは出仕することを避けなくてはいけなかった。 個々によって時期が異なるため、「ズル休み」の名目として使われたことも。 現代風に言うなら、「体調が悪いので仕事・学校をお休みします。」という伝え方になる。 |
③ 宗教
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 物怪 | もののけ | お化けや妖怪のこと。 当時は病気やヒステリーの原因として捉えられることもあった。 |
| 夢枕 | ゆめまくら | 生きている人が寝ている際、亡くなった人が枕元に立ってメッセージを送ること。 発言内容は励ましもあれば、叱責や恨み言など状況により様々。 |
| 呪詛 | じゅそ | 神仏や悪霊の力を借りて相手を呪い、相手を不幸に陥れたり命を奪うことを目的とした行為。 当時は謀反や殺人と同じくらいの重罪であった。 |
④ 罪状、刑法
| 用語 | 読み | 説明 |
|---|---|---|
| 謀反 | むほん | 仕えている君主(本作では帝)を裏切り、兵や武力を向けること。 劇中で謀反は起きていないが、光源氏は朧月夜との関係が原因で謀反の疑いをかけられたことがある。 |
| 流罪 | るざい | 罪人を遠方に強制追放させる刑罰。刑罰の中では重め。 追放する場所は離島も使われたことから、別名島流しとも言われる。 上述の謀反疑いから、光源氏も流罪に処される可能性があった。 |
| 蟄居 | ちっきょ | 外出せず自宅にこもる刑罰。今でいう自宅謹慎みたいなもの。 光源氏の場合は前述の謀反の疑いのため自ら蟄居を選んだが、自宅ではなく都から離れた須磨(現在の兵庫県神戸市須磨区)を選んでいる。 |
平安時代の恋と結婚

平安時代当時は現代日本のように夫婦が同居はせず、妻のもとに夫が通う「妻通婚」(つまどいこん)が主流でした。
当時は夫が妻側の一族に婿入りし、結婚の可否も妻側の実家の許可がないと認められないスタイルだったようです。
男女の出会いから結婚への流れを見ていきましょう。
① 出会い
当時女性は公の場では顔や声を出すことははしたないと考えられていたことから、周囲からの紹介で結婚につながることが主流でした。また、噂で「美人」「才能がある」と周囲から聞きそこから懸想につながることもあったようです。
光源氏は多くの女性と恋仲に落ちる際、噂から懸想につながる事例が多くありました。
※懸想(けそう):異性に恋をすること
② 手紙のやり取り
女性が直接やり取りをするのもこれまたはしたないと考えられていたため、文を取り次ぐ女房が男性側に手紙を取り次いでいました。また、女房が代筆を担当する場合もありました。
お互い直接会って顔を見られないため、和歌をしたためた手紙のやり取りが最重要です。
美しい文字でセンスの良い和歌を送り合い、時には季節を感じる草花を一緒につけました。
この時点で字が汚く、無粋な内容を送ると相手に嫌われてしまうようです。
ここでお互いOKが出ると、女性のもとに顔を出して契りを交わしました。
③ 三晩連続で男性が女性のもとに通う
初回の契りを男女で交わした後、男性は早朝に帰らなくてはなりません。
そこで、後朝の文(きぬぎぬのふみ)を早く女性側に送ることが重要でした。
後朝の文を送るスピードが速いほど相手側の女性に誠実に向き合っているとみなされたからです。
現代では「仕事は即レスポンス!返事を早く返すのが仕事ができる人の条件」と言われがちですが、当時は結婚や恋仲でも最重要要素だったのですね。
その後三日間連続で一緒に夜を過ごします。
ちなみに光源氏の場合は皇族出身の高貴な身分のため、元服した夜に葵の上が添卧(公卿の娘が添い寝すること)して正妻になりました。
④ 女性の一族に認められて結婚
三日後の朝に女性側の一族による披露宴が開かれます。
ここで女性側の一族に認められ、男女が2人で一緒に「三日夜の餅」(みかよのもち)を食べると晴れて夫婦となります。
夫の正妻となる女性は「北の方」と言い、名前に「上」をつけて呼ばれます。
後世に与えた影響
源氏物語と光源氏の恋物語は様々な要素で後世に影響を与えました。
「憧れの男性orカップル」として物語に登場

光源氏や、彼と紫の上との関係性は世の多くの女性たちの憧れとなりました。
源氏物語が刊行された後の物語では格好良い男性のことを「光源氏の再来」と周囲がもてはやしたり、身分が整っていない女性のことを「末摘花のようだ」と例える表現があります。
特に、光源氏は「格好良く才能と教養があり、血筋も皇族」という当時の女性が憧れる理想の男性像がみっちりと詰め込まれています。
光源氏本人は架空の人物ではあるものの、現代でいう「イケメン像」「憧れる男性アイドル」の先駆けを作り上げた紫式部の表現力には脱帽です。
モチーフにした漫画や小説も多数刊行
後世では源氏物語をモチーフにした漫画や小説が多数刊行されました。
また、中学高校の授業で使用する古典の教材でも、漫画形式で取り上げられることがあります。
これらの作品には後に作者独自の考察や設定も取り入れられているのが魅力です。
私個人はある高校古典の教材漫画の解釈として、光源氏が最愛の紫の上を亡くした後に「自分はただ生母の面影を探し、母親に愛されたかっただけではなかったのか」と悟る解釈が心に刺さりました。
時代を超えても変わらない人間の本質を「もののあはれ」の考え方で伝えたことに加えて、長い時間愛され続けた物語だからこそ各々が考察して付け足せる解釈は作品ごとに比較するととても面白いですよ。
1980年代の人気アイドルグループの名前で採用
1987年にデビューした男性7人組アイドル「光GENJI」はローラースケートを活用したパフォーマンスで一世を風靡しました。
名前の由来は光源氏から来ているとのことですが、元は「光」と「GENJI」という2つのグループでそれぞれ活動していたようです。
代表作「パラダイス銀河」は大ヒットし、昭和時代最後に開催された1988年第30回日本レコード大賞を受賞しました。
現代でも甲子園の応援歌でも採用されるなど、多くの人々に親しまれています。
なお、著者が過去にいた職場の先輩いわく「あまりの人気ぶりに発売されたレコードが品薄で手に入らなかった」とのこと。
光GENJIは「パラダイス銀河」以外にも、「ガラスの十代」や「勇気100%」など、多くのアーティストにカバーされながら現代でも愛される曲を多く世に送り出しています。
筆者は直接彼らの活躍を見ることは叶いませんでしたが、ローラースケートで軽やかに踊る様子は現代版の光源氏が舞を踊っている様子にも感じました。
当時の音楽番組の映像を見ると元気をもらえます。
ちなみに、彼らを応援する親衛隊(現代でいう「ファンクラブ」)の名前は「紫SHIKIBU」(=紫式部)と言われていたようです。
妻である「紫NOUE」(=紫の上)ではないのかと知った当初は驚きました。
「紫式部」を導入した理由は発音した際の語感の良さやローマ字で書いた時のバランス、作者の氏名を採用したなど、考察は尽きないです。
成立1000年には粋な計らいも
2008(平成20)年に源氏物語は物語の成立から1000年を迎えました。
その記念として、NHK「みんなのうた」では源氏物語をイメージした「光のゲンちゃん」を発表しました。
この曲では1000年の時を超えて光源氏が現代へと向かう中、時の流れに伴う変化に驚きつつも優雅に恋をしながら時空を旅する様子が描かれています。
1000年という果てしない時間を超えてなお物語が人々に愛される様子には、きっと彼も心温かくなったのではないでしょうか。
まとめ:
現代でも形を変えて愛される物語

平安時代当時の文化だけでなく、人々の生活と人生、「変わらないものはない」と無常をしみじみと感じさせる物語を確立させた紫式部と源氏物語の功績はこの記事だけでは語りきれません。
源氏物語は現代語に訳された小説に加えて、漫画や教材などでもわかりやすく解説されたコンテンツがたくさんあります。
この記事をきっかけに皆さんが興味のある手法や書籍から、源氏物語の世界や平安時代の文化に触れてもらえると非常に嬉しいです。













