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「枕草子」から考察!日本の暮らしと四季の関係性を探ってみた

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「日本の夏は暑い。」「自国の方がまだ涼しいと感じるくらいだ。」

2025年夏に放映された、海外から日本旅行に来た人々を特集するテレビ番組で、多くの外国人から聞かれた声でした。

実際、私の暮らす地域も例年にない暑さで家族や友人との間で体調を気遣いながら夏を乗り切りました。
同じ場所でも20年前は涼しく、夜から明け方にかけてはタオルケットをかけないと風邪をひくくらい気温が下がっていただけに、ここ数年の猛暑は危険だなとつくづく感じます。

そんな日本にも秋の訪れがようやく実感が湧くようになり、私の地域でも金木犀の香りや稲刈りといった秋の兆しを感じられるようになりました。

その四季の変化を実感した際、ふと中学国語で習った「枕草子」に書かれていた四季の話を思い出したので、解説とともに皆さんに共有したいと思います。

「枕草子」とは?

枕草子」(まくらのそうし)とは、平安時代に清少納言によって執筆された随筆(エッセイ)です。

日本で最も古いエッセイであり、「方丈記」(ほうじょうき)と「徒然草」(つれづれぐさ)と合わせて「古典日本文学三大随筆」といわれています。

枕草子の大枠は以下3点の構成です。

類聚章段:「もの」について語った内容。清少納言が感じた美しいものや興醒めするものなどが中心に語られている。

随想章段:日常生活や四季を観察した内容。今回中心で語る内容である。

回想章段:清少納言が仕えた中宮「定子」(ていし、さだこ)との関係性や宮廷の暮らしを振り返った話。

基本的には明るく知性的、時に鋭い視点からのツッコミが入る軽快な文章が主軸ですが、「回想章段」では彼女が敬愛した中宮定子に降りかかった身の不幸や、その実家である中関白家(なかのかんぱくけ)の没落について、彼女なりの寂しい感情が微かに打ち明けられるシーンは印象的です。

なお、名前の由来である「枕草子」は、当時貴重品であった紙が定子へ届けられた際に「枕を書きましょう」と提案したことがきっかけだと言われています。

この「枕」の由来にはいくつか諸説があります。

寝具の「枕」
同じく紙を届けられた帝(天皇)が「史記」(しき)を書くと話し、寝具の「敷布団」にかけたダジャレ

出典の「枕」
帝が「史記」(しき)を書くことを出典とし、季節の「四季」を枕にした作品を書くことを提案した流れ

※ここでの「枕」はある特定の言葉を引き出すために使われる修飾語である「枕詞」を意味しています

本作の特徴

枕草子を語る上で欠かせないのは、「をかし」という考え方です。

「をかし」とは

明るく軽やかながらも、物事を客観的に観察し鋭い感性を持って分析する姿勢を指します。
興味深くて趣がある」「美しい」「知的好奇心や興味をかきたてられる」という感情で平安時代当時はポジティブに捉えられました。

「をかし」の感性を現代の私たちの暮らしで例えると、行きつけのお店で新商品が発売されていて「何これ?初めて見たけど面白い!」という感覚に近いでしょう。

現代でいう「おかしい」は「滑稽」という意味で使われがちですが、こちらは室町時代から意味合いが変化し、江戸時代で「滑稽」という意味が確立されたと言われています。

同時期に成立した「もののあはれ」も感動を表しますが、「をかし」はより軽やかでさっぱりとした感動や興味を惹かれる感情をメインで表現していることが違いです。

作者「清少納言」は何者?

清少納言(せいしょうなごん)は一条天皇の中宮である定子(ていし・さだこ)に仕えた女房です。
本名・生没年ともに不詳ですが、父親の「清原元輔」と平安時代当時の官職である「小納言」から名前が来ていると言われています。

平安時代当時の女性は本名ではなく男性の家族(本人の父親または息子)と関係性、または本人の父親の名字と役職の肩書きから組み合わせた「女房名」という名前で呼ばれるのが一般的でした。

素直で明るい人柄で、好奇心旺盛な性格から幼い頃は漢文や和歌に親しみました。
定子からは深い信頼を寄せられ、同僚も教養豊かなメンバーが集まり仲良く自由な間柄であったと言われています。

現代の会社だったら、きっと毎日仕事をするのが楽しそうなサロンだという印象を受けました。

用語解説

用語読み説明
中宮ちゅうぐう帝の后。「皇后」の別称でもあった。
女房にょうぼう貴族に仕えた女性使用人。主人の身の回りの世話や教育係、話し相手が役目で、一定以上の教養が求められた。
小納言しょうなごん平安時代当時の官職。
政策を臣下に伝えたり、逆に臣下から伝えられた報告と意見を天皇に伝える役割を果たしていた。

何かと比べられがちな「源氏物語」と「紫式部」との違い

同時代に成立した「源氏物語」とその作者である「紫式部」とは作風や人柄の違いを比べられがちです。
ここでは簡単に違いを確認していきましょう。

topic清少納言紫式部
代表作枕草子
随筆・エッセイ
源氏物語
長編小説
作風をかし
知的好奇心を掻き立てるように感動を明るく軽やかに表現
もののあはれ
しみじみと静かに物事に感動し、時に無常な哀愁も表現
人柄快活で明るく、同僚とも仲良し文学好きだがプライドが高く、同僚とは馴染みづらかった
名前の由来父の名字+近親者の官職名

(官職名の由来は諸説あり)
源氏物語の登場人物である「紫の上」と、父の官職名

(当初は父の名字と官職名を合わせた藤式部と呼ばれていた)
仕えた主人中宮(皇后)定子中宮彰子(しょうし・あきこ)

2人の主人「中宮定子」と「中宮彰子」の関係性

2人がそれぞれ仕えた主人である「中宮定子」と「中宮彰子」は従姉妹でありながらも同じ帝の后であり、それぞれの父親が政争でのライバル関係にありました。

定子は中宮でしたが政争で後に彰子も中宮として入内(じゅだい:現代の天皇との結婚に当たる)するようになると、定子は「皇后」として扱われ、一人の帝に二人の后がいる「一帝二后」(いっていにこう)の状態となりました。

すると定子と彰子のどちらが先に世継ぎを産むか争うようになり、それぞれの女房に当たる清少納言と紫式部も何かと比べられるようになったのでしょう。

どちらの作品も現代語訳や漫画解説で読みましたが、私個人は枕草子の明るいながらも鋭い視線をもった観察眼と、源氏物語のきらびやかな生活と光源氏の一人の人間としての苦悩や葛藤を抱えながらも、真摯に生きる姿勢のどちらも美しいと思いました。

双方とも現代に通ずる視点や感情を持ち合わせて生きてきた様子が伝わるのが、2人が生み出した文学の魅力であると感じています。

「枕草子」と四季の関係性を見てみよう

枕草子では清少納言が「をかし」の感性から切り取った四季の感想や分析が随所に散りばめられています。

ここでは書き出しである「春はあけぼの」から彼女が感じとった平安時代当時の日本の四季の魅力と「をかし」の感性を見ていきましょう。

さらに、現代日本に暮らす物書きの1人である筆者個人の感想も、蛇足ながらも現代の比較として加えさせていただけますと幸いです。

原文および現代語訳の取り扱い

枕草子は平安時代に成立した文学であることから、現代の日本語と書き方や言葉の意味が異なる場合がございます。
そのため本記事は原文と現代語訳(現代の日本語に直した文)を一緒に掲載します。

なお、今回掲載した原文と一部現代語訳は以下のサイトから引用したことをご報告いたします。

春はあけぼの(枕草子) | テキスト BUNGO-bun GO!
開発(統括・コンテンツ作成):佐藤勢紀子(東北多文化アカデミー、元 東北大学)

春:あけぼのが綺麗

原文
春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

現代語訳
春は、明け方。だんだん白くなっていく山側の空が、少し明るくなり、紫がかった雲が、横に細長く空にかかっている。

有名な書き出しである「春はあけぼの」。
これは春は明け方が美しいという意味を指します。

夜明けはいつの景色も美しいですが、春独特の明け方の色合いは何者にも変え難いのですよね。

春は花々が咲き乱れる様子から、その美しさを直接愛でることのできる日中ではなく、あえて明け方にしたのは「紫色がかった雲と空」が影響していると考えられます。

紫色は古来から日本で「高貴で雅な色」だと愛されてきました。

この色をダイレクトに自然で感じられる春の明け方を、一番春の中で美しいと決めたのではないでしょうか。

また、枕草子の序章に四季の感じ方だけでなく「明け方=夜明け」を持ってくるあたりが、「枕草子というエッセイを始める幕開け」を表す2つの意味を表していると筆者は感じます。

この粋な計らいが清少納言らしい気配りが効いた演出だと唸ってしまいます。

夏:夜がおすすめ

原文
夏は、夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし
雨など降るも、をかし

現代語訳
夏は、夜。月が出ている夜は言うまでもない。(月が無い)闇夜でも、蛍が多く飛び交っている(様子も素晴らしい)。また、(蛍がたくさんいなくとも)ただ一つ二つと、かすかに光って飛んで行くのも趣がある。雨が降るのも風情がある。

よく現代の私たちは夏と聞くと「日中の海」や「ひまわり」といったエネルギーあふれる元気なモチーフと結びがちですが、清少納言は「」、それも文面から静かな様子が魅力であると書きました。
また、ここから枕草子の構成の魅力である「をかし」という文面が出てきます。

月は十五夜など日本の四季や文化で度々愛られ、とりわけ和歌の題材としては太陽よりも月の方が圧倒的に多く採用されています。

十五夜は秋のため月の話は秋で取り上げられるかと思いましたが、「夏は夜がおすすめ。月は(皆が綺麗だとわかっているし愛されているから)もちろん良いよね。」と、あえて夏に取り上げるだけでなく「皆月の魅力は知っているから他の内容を取り上げるね」と話を進める姿勢に軽やかな構成の流れを感じることができました。

物書きの身としては、この構成力を見習いたいところです。

静かな夜から見る当時の夏

現代では見ることは難しくなりましたが蛍の光る様子を闇夜と比べながら表している様子も静かで癒される雰囲気を感じます。
この「静けさをしみじみと感じる様子」は、同世代の作者である紫式部が確立させた「もののあはれ」の考え方も垣間見ることができ、非常に興味深いです。

もし夏の静けさを良いと論じた清少納言が現代にタイムスリップして、「夏は海!夏祭りや花火大会で盛りあがろう!!」といった空気感を感じたらどう反応するのでしょうか。

驚き「わろし(=よくない)!」と断じるか、はたまた「をかし(=面白い)!」とノリノリで楽しむのか。
すごく気になります。

秋:夕暮れがいいね

原文
秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり
まいて、雁などのつらねたるが、いと小ひさく見ゆるは、いとをかし
日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。

現代語訳
秋は、夕暮れ。夕日が差し込んで、山の端へ沈もうとしている頃に、烏が寝どころへ行こうとして、三羽四羽、二羽三羽など、急いで飛んでいくのはしみじみと感慨深い気持ちになる。
言うまでもないが、雁などが列をなして飛んでいるのがとても小さく見えるのは、たいそう趣がある。
日がすっかり暮れてしまって、風の音と、虫の音などが聞こえてくるのは、言うまでもなく(素晴らしい)。

ここも静けさや一抹の寂しさを「もののあはれ」としてしみじみと味わう様子が浮かび上がります。

秋は夏至から冬至までだんだん日が短くなり、そのスピードの速さは「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」として、水を汲む釣瓶が井戸の底に落ちるようだと例えられるほどでした。

虫の音は鈴虫などの鳴き声でしょうか。

これは現代でも自然豊かな場所では夜に鳴き声が聞こえてきて、筆者個人も静かで癒されると感じます。

また、現在首都圏で仕事をしている弟と電話をしている際虫の音が聞こえて、「自然が豊かな場所で羨ましい」としみじみと言われたことを思い出します。

秋は金木犀も魅力的?

秋に咲く金木犀(きんもくせい)は、オレンジ色の可憐な花と甘くてどこか懐かしさを感じるような花の匂いから多くの人に人気を博しています。

その香りの魅力から、2020年代頃から秋限定グッズとして金木犀の香りがするハンドクリームや香水が多く販売されるようになりました。

秋といえば金木犀を連想する現代の日本ですが、実は金木犀は江戸時代に中国から持ち込まれた植物です。

「花付きが良い」という理由から雄株のみが日本に持ち込まれ、挿し木の手法で個体を増やしてきました。
そのため、日本の金木犀は実をつけないというのが大きな特徴となっています。

学生時代に授業が遅く終わって夜道を歩いていた時に、金木犀の香りがしていたことが印象的でした。

今でも金木犀の香りを夕暮れに嗅ぐと当時の楽しかった記憶を思い出すので、香りと記憶が連動する独特の懐かしさも金木犀の魅力だなと個人的に考えています。

ぜひ清少納言にも香りを感じてもらい、彼女なりの観察眼で金木犀の感想を聞いてみたいところですね。

冬:「つとめて」が魅力

原文
冬は、つとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも。またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし

現代語訳
冬は、早朝。雪が降り積もっている(情景)は、言うまでもない。
霜が真っ白に地面に降りていても、またそうでなくても、とても寒い時に火などを急いでおこして、炭を持って行くのも、まさに冬の早朝にふさわしい感じがする。

昼になって、だんだんにあたたかくなり寒さがゆるんでいくと、火桶に入った炭火に白く灰が多くなって、(見栄えが)よくない。

ここはまさかの「早朝」を出してきました。

つい寒い冬の朝は毛布にくるまって出たくないと考えがちですが、早朝だからこそ見られる景色を堪能する様子は見習わないといけません。

子供の頃は雪や霜が積もってその上を歩き、感触や音、きらきらとしたまばゆさを感じたことを思い出しました。

大人になると雪道の大変さや寒さ、車の霜取りに大変な思いを感じがちですが、子供の頃に感じたきらめきや美しいと感じる感覚は大切に心に留めておきたいものです。

また、ここで面白いのが冬のみ「わろし=良くない」と論じている点です。

火桶(ひおけ:現代でいうストーブなど暖房器具の一種)の火が白っぽい灰になっているのは良くないと、現代ではなかなか見られない光景に切り込んでいます。

これは筆者個人の感想ですが、「つとめて(早朝)はキリッとした寒さが堪えるけどそれも冬の魅力。だからこそ寒さが和らぐと火桶の火や灰もだらけて見えるようでみっともない」と清少納言は捉えたのではないかと考えます。

後の章である「すさまじきもの(興醒めするもの)」にも「良くない!ありえない…!」と彼女の鋭い観察眼をもって切り込む文面が多々出てきますが、季節の最後である冬で「良いだけでなく悪いと感じることも書いていくよ」と宣言するところが、「春はあけぼの」との対比になって面白いと感じるポイントだといえるのではないでしょうか。

まとめ:
季節の捉え方を比べてみるのも面白い

この「春はあけぼの」から始まる四季の文面は「竹取物語」とともに中学国語での古典への導入として長く採用され、多くの人に親しみを持たれています。

清少納言独自の感性をもとに「をかし」という視点で切り込んだ軽快な文面は、まるで友達とさっぱりと話し合っている雰囲気を私たちに与えていると感じます。

「これは現代でもわかる!通じる!」「この文面はちょっと現代の自分たちでは異なるかも…」と考えながらサラサラと読み進められるところが、枕草子と清少納言の人柄の魅力ではないでしょうか。

この他にも、清少納言は「をかし」をもとにした独自の視点で軽快かつ鋭い視線で物事を面白く捉えています。

現代に清少納言が生きてタイムスリップをしたら、彼女はどのように捉えるのでしょうか。

夏の暑さやPCやスマートフォンで物語を書ける時代になったことに驚かれるでしょうが、「をかし」の視点で楽しめる要素を現代に見つけてもらえれば、非常に嬉しいと感じます。

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