
三種の神器とは?役割や「見てはいけない理由」・歴史と天皇家の関わりを解説

天皇家。
およそ2600年以上続く一族は、私たち日本人の象徴として在り続けています。
ひとつの家系が途切れず王朝を紡いでいることは、2026年現在では最長の記録とされています。
そのような天皇家を象徴するものに、「三種の神器」と呼ばれる宝物があります。
具体的にどのようなものなのか。
歴史や逸話と一緒に紐解いていきましょう。
「三種の神器」とは? 種類とそれぞれの役割

三種の神器とは、天皇家に代々伝わる3つの宝物です。
日本の太陽神である天照大神が、孫であるニニギノミコトに渡したのが始まりとされています。
その後ニニギノミコトのひ孫にあたる初代天皇「神武天皇」が引き継ぎ、代々天皇家に伝わる神器となりました。
三種の神器は「鏡」「剣」「勾玉」の宝物で構成されています。
それぞれの神器は火災や戦乱から守るため、それぞれ別の場所に分けた上で厳重に保管されています。
おことわり
三種の神器は本体・形代(レプリカ)ともに一般公開や写真が公開されていません。
そのため、類似の文化財の画像をイメージとして掲載いたします。あらかじめご了承願います。
なお、画像の引用元は画像下にクレジット表記を行っております。
併せてご覧ください。
①八咫鏡 (やたのかがみ)

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
團伊能氏寄贈,Gift of Mr. Dan Inou,東京国立博物館,Tokyo National Museum 「ColBase」収録
本体の安置場所:伊勢神宮(三重県)
かつて天照大神が岩戸に隠れた際、外に誘い出すために作られた鏡です。
ある日天照大神は弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の横暴に怒り、天岩戸に隠れてしまいました。
太陽神である天照大神が隠れてしまったことで、地上には太陽が昇らなくなってしまいます。
困った人々は一計を案じ、宴と鏡を活用して天照大神を外に出す作戦を考えました。
天照大神が宴による外の騒ぎをそっと覗いた際、鏡に写った自らの眩しさに驚きます。
その隙に天岩戸を開けることで、天照大神を外に連れ出すことに成功しました。
後日地上に降りるニニギノミコトには「この鏡を私(天照大神)だと思い、大切に祀りなさい。」と伝えて渡したそうです。
日本における鏡の役割
日本では古来から、鏡は神の依代として考えられてきました。
そのため現代でも多くの神社には、御神体として鏡が祀られています。
さらに、鏡は「自己を映す」特性から、自らの行いや心の在り方を見つめる役目も持ち合わせました。
神道でも鏡は重要な役割を果たし、魂を清めるための大切な道具として重宝されています。
「神道」については以下2つの記事でも
詳しく解説しています。
あわせてご覧ください。
②草薙剣 (くさなぎのつるぎ)

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
東京国立博物館,Tokyo National Museum「ColBase」収録
本体の安置場所:熱田神宮(愛知県)
かつては「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれた剣です。
須佐之男命が退治したヤマタノオロチの尾から生まれました。
先ほどの「八咫鏡」でお話しした通り、天照大神の弟である須佐之男命は、高天原と呼ばれる天界で多くの悪さをしてきました。
これに腹を立てた天照大神は、須佐之男命を地上に追放します。
地上に降りた須佐之男命は、出雲(現在の島根県)でクシナダヒメ一家と出会います。
彼女は頭と尾が8つある「ヤマタノオロチ」の生贄になることが決まっており、両親と嘆き悲しんでいました。
クシナダヒメに一目惚れした須佐之男命は彼女を妻にすることを条件に、ヤマタノオロチ退治に乗り出します。
結果は無事須佐之男命が勝利。
クシナダヒメと結婚し、末長く幸せに暮らしました。
この伝説は「ヤマタノオロチ伝説」として、後世に語り継がれています。
その後天叢雲剣が須佐之男命から天照大神に献上され、三種の神器としてニニギノミコトの手に渡ります。
「天叢雲剣」から「草薙剣」へ名前が変わる
12代景行天皇の時代に、彼の皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が関東・東北地方に向けて東征を行います。
相模国(現在の神奈川県付近・横浜市と川崎市を除く)にて草原にいた日本武尊は、罠にはまり周囲を火で囲まれてしまいました。
ピンチに陥った日本武尊ですが、彼を救うべく身につけていた天叢雲剣が自ら動いて草を薙ぎ倒します。
日本武尊を守った天叢雲剣は、後に「草薙剣」と呼ばれるようになりました。
東征を終えた日本武尊は宮簀媛(みやすひめ)と結婚しますが、草薙剣を熱田(現在の静岡県)に預けて次の退治へ旅立ちます。
しかし、彼が宮簀媛の元に戻ってくることはありませんでした。
残された宮簀媛が草薙剣を祀ったことが熱田神宮の始まりとされ、現在も本体が保管される場所となっています。
③八尺瓊勾玉 (やさかにのまがだま)

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
水津信治氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum「ColBase」収録
本体の安置場所:皇居(東京都)
前述した天照大神の「天岩戸伝説」の儀式に使用された大きな勾玉です。
八咫鏡と一緒に榊の木に掛けられました。
三種の神器の中で唯一皇居で保管され、天皇の慈悲や災いを鎮め結びつける力を象徴すると考えられています。
名前の由来
八尺瓊勾玉の名前には、それぞれ以下の意味が込められています。
- 八尺:大きい、立派なサイズの玉。
- 瓊:赤い石(赤瑪瑙=レッドアゲート)。
魔除けの効果があると考えられてきた。
勾玉とは
勾玉(まがたま)とは、古代の日本で作られたアクセサリーです。
数字の9に近い形をしており、中心に紐を通す穴が空いているのが特徴です。
素材は前述した赤瑪瑙(あかめのう=レッドアゲート)の他に、水晶やヒスイなどが使われていました。
独特な形は月の満ち欠けや胎児、魂を表していると考えられています。
※日本では古来から月の満ち欠けが生活に深く関わっていました。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
勾玉はアクセサリーとしておしゃれに使われるだけでなく、魔除け・厄除けの役割も持ち合わせています。
そのため祭祀や儀式では、勾玉は神聖な道具として重宝されました。
なぜ三種の神器は「見てはいけない」のか? 形代と逸話をご紹介

天皇家は、太陽神天照大神を祖とする日本神話の時代から続く世界最古の王朝です。
三種の神器も代々歴代の天皇が受け継いできました。
ただし、王朝といっても現在は政治権力を持っておらず、あくまで日本の主権は国民とされています。
それでも天皇の存在は私たち日本人の精神的な支柱として、国家の安寧を祈る存在として位置付けられてきました。
実は三種の神器は、本体は天皇でさえ目にすることができません。
さらに、三種の神器が外に持ち出すことも、「絶対に見てはいけない神聖な存在」と考えられています。
なぜ見てはいけないと言われているのか。
その理由は神道や伝承などで語られています。
理由①:三種の神器は「神様」そのものだから
日本で古来から伝わる「神道」では、神様は物にも宿ると考えられています。
そのため、三種の神器は単なる物ではなく「神様の魂そのもの」だと捉えられました。
例え天照大神の血を引く天皇であっても、神様を直視することは多れ多いと考えられたのです。
理由②:見てしまった人に「祟りが起こる」と考えられたから
前述の通り、三種の神器は神様そのものだと捉えられています。
そのため、人間が直視するのは不敬だと考えられました。
実際に、三種の神器をうっかり目にした人には以下の祟りや不幸が起こったと伝えられています。
- 『平家物語』にて、箱を開けた平氏の目が眩んだ
- 江戸時代に三種の神器が収められている箱を開けてみた神職が、突然病に倒れた
- 三種の神器を見てしまった人が流罪になってしまった
代わりの役割を果たす「形代」
本体は神様が宿り、見たら祟りを受けてしまう。
とはいえ、三種の神器は皇位継承などの儀式に使われる重要な役割を担っています。
そこで三種の神器は本体の他に、「形代」(かたしろ)と呼ばれるレプリカが作られました。
形代は宮中で保管され、常に神威を拝する役割を担っています。
「三種の神器」の逸話をご紹介

神話の時代から天皇家と深いゆかりのある三種の神器。
彼らは時に政争や文化にも関わり、長い歴史の中で逸話を残してきました。
ここでは三種の神器にまつわる逸話をご紹介します。
海に沈んだ草薙剣

1185年に、武士の世を築く源氏と一時政権を担った平氏が壇ノ浦(現在の山口県)で最後の戦いを繰り広げます。
一族の敗北を悟った平氏は、次々と壇ノ浦の海に飛び込み自害しました。
その際、平氏の血を引く安徳天皇は祖母である平時子にこう言われます。
「波の下にも都はありましょう。」
時子は安徳天皇を抱いて海に飛び込みます。
その際に平氏の手によって、草薙剣と八尺瓊勾玉も一緒に海へ投げられてしまいました。
※ちなみに八咫鏡は、元々宮中にあったため無事に保管されていたようです。
八尺瓊勾玉は源氏側の必死の捜索で無事発見されましたが、残念ながら草薙剣は海に沈んだまま見つかりませんでした。
神剣である草薙剣が失われたことで、皇位継承の儀式ができないと時の朝廷は混乱に陥ります。
そこで別の剣を草薙剣の「形代」(かたしろ)とすることで、難を逃れることができたと言われています。
どちらが「本当の天皇」?

室町時代のはじめ、日本には2人の天皇が同時に存在していた時期がありました。
通常天皇は1時代に1人ですが、なぜ同時に2人存在していたのでしょうか?
その理由は、室町幕府と時の天皇の政争が挙げられます。
きっかけは「武士と天皇による政治の実権争い」だった
鎌倉幕府が滅んだ際、第96代天皇である後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が建武の新政を目指します。
これは鎌倉時代武士が中心となった政治を、改めて天皇中心に戻すことが目的でした。
しかし、室町幕府初代将軍である足利尊氏は建武の新政に猛反発します。
後醍醐天皇の政治のやり方に反対する武士をまとめ、光明天皇を擁立しました。
後醍醐天皇側を南朝、足利尊氏ら武士側を北朝と呼び、両者は政治の実権を握ろうと激しく対立します。
この時代は「南北朝時代」と呼ばれ、三代将軍足利義満の時代までおよそ60年間続きました。
どちらが「三種の神器」を持っていた?
三種の神器は天皇の皇位継承の際に使われ、「正統な天皇」を証明する道具としての役割を持ちます。
では、南朝と北朝どちらが三種の神器を持っていたのでしょうか?
これについては「南朝が持っていた」と考えられています。
当初足利尊氏と対立していた後醍醐天皇は、和解の証として三種の神器を渡します。
しかし、後醍醐天皇が実際に渡した三種の神器は偽物でした。
そのため、「尊氏側が持っている三種の神器は偽物なので、自らが正統な天皇である」と後醍醐天皇は主張します。
三種の神器は長らく南朝側で保有されます。
その後1392年に南北朝が統一された際に、北朝側の後小松天皇(第100代)に渡りました。
ちなみに明治時代に設定された歴代天皇の系図は、南朝側を正統な天皇の系図として定めています。
これは「皇位継承に必要な三種の神器が南朝で保管されていた」点が理由です。
昭和天皇が最も恐れた「海外への流出」
1945年8月15日。
日本がポツダム宣言を受け入れることで戦争が終わりました。
ポツダム宣言が出された際、昭和天皇(第124代)はあることを最も恐れていました。
それは「三種の神器が当時の敵国だったアメリカに渡ること。」
当時日本では本土決戦が起こる可能性もありました。
そのため昭和天皇は側近に対し伊勢神宮にある八咫鏡と、熱田神宮にある草薙剣を自らの手元に置いて守ろうと考えていたようです。
さらに、万が一敵の手に渡ったら父である大正天皇をはじめ歴代の天皇に顔向けができないと考えたのでしょう。
万が一の時は自らが抱えて海に飛び込んで守り抜く覚悟もあると語りました。
GHQが感銘を受けた昭和天皇のお覚悟
なお、昭和天皇は戦争の責任を問われた際「責任は全て私にある」とGHQに伝えました。
当初GHQは命乞いに来たと考え、GHQ司令官マッカーサーは威圧的な態度で昭和天皇を出迎えます。
しかし、自らの命を賭してでも国民を守る真摯な姿勢にGHQは感銘を受けました。
出迎えの際は姿を見せなかったマッカーサーは、見送りの際は最敬礼を行ったことを当時の心境とともに回想録に書き記しています。
憧れとしての「三種の神器」

昭和時代中期に、3つの家電が家庭に登場します。
これらは人々の憧れとして、「三種の神器」と呼ばれました。
最初の「三種の神器」
- 白黒テレビ
- 電気洗濯機
- 電気冷蔵庫
その後の好景気には「3C」と呼ばれる新しい三種の神器が生まれます。
「3C」と称された「三種の神器」
- カラーテレビ (Color television)
- クーラー (Cooler:現在でいうエアコン)
- 自動車 (Car)
1950年代から1970年代にかけて、日本では「高度経済成長」と呼ばれる好景気が続きました。
この期間にいくつか起こった好景気は、日本神話になぞらえて以下のように呼ばれています。
- 神武景気
初代天皇である神武天皇。 - 岩戸景気
天照大神が隠れた天岩戸。 - いざなぎ景気
天照大神、須佐之男命の父神であるいざなぎ。3Cが出てきたのもこの時代。
当時の日本は戦後の復旧から立ち上がり、人々が平和とともにこれからの暮らしに希望を持ちはじめた時期と重なります。
その時期に出てきたこれらの家電は、まさに神が与えた天恵だったのではないかと筆者は考えます。
この他にも発生。現代版「三種の神器」

上記の2つの三種の神器は、歴史の教科書に載るほど有名なものです。
しかし、これ以外にも三種の神器と呼ばれる家電や生活用品が度々登場します。
いくつか例を見ていきましょう。
1980年代:若者文化を代表した「三種の神器」
- ウォークマン
ソニーから発売された音楽プレーヤー。 - ローラースケート
- デジタル時計
2000年代:デジタル家電が台頭した「新・三種の神器」
- デジタルカメラ
- DVDレコーダー
- 薄型テレビ
新・三種の神器は別名「デジタル三種の神器」とも呼ばれています。
まとめ:
人々の憧れと歴史のロマンがつまった「三種の神器」

いかがだったでしょうか。
三種の神器は、神話の時代から生まれて現代まで受け継がれてきました。
長い歴史の中で時に争いの種となり、またある時には人々の憧れとなった三種の神器。
姿が見えないからこそ、時に私たちに歴史のロマンを感じさせるでしょう。
今回ご紹介した三種の神器は、日本神話とも深い関係性があります。
日本神話については後日記事を作成して紹介する予定です。
そちらもぜひ一緒にご覧ください。















